2009年01月31日

勝手にボーナス・トラック

CDジャーナルの情報によると、wet wet wetのtimeless日本盤(3月11日発売)には、ボーナス・トラックが収録されるらしい。


まだ曲目どころか曲数さえ決まっていないようだが、大体2曲収録されると仮定した場合、ボーナス・トラックとして最も可能性が高いのは、1stシングルtoo many peopleのシングル・バージョンと、2ndシングルweightlessのライブ・バージョンではないだろうか。

too many peopleのシングル・バージョンは、アルバム・バージョンとアレンジが大きく異なるという点だけでなく、アルバムに先立ちリリースされたいわゆるwet wet wetの復帰第1弾シングルという意味においても、非常に重要なトラックだと思う(実際は、2004年のall i wantが復帰第1弾シングルである)。
2ndシングルweightlessのライブ・バージョンは、2007年に行われたUKツアーの際に各会場ごとに収録され、ダウンロードのみで販売されたもの。weightlessを10年ぶりのトップ10(10位)へと押し上げる原動力となったこのライブ・バージョンもまた、アルバムtimelessを語る上で欠くことのできないトラックなのである。


もちろんそのほかにも、シングルのカップリング曲として、sail on/love of a woman/beautiful girl/give it all away/stayといった魅力的なアルバム未収録曲もあるわけだが、too many peopleのシングル・バージョンとweightlessのライブ・バージョンこそ、アルバムtimelessとともに、2007年から2008年にかけてのwet wet wet復活の状況を伝えるのに最も相応しいボーナス・トラックだと思う。


ただし、どちらのバージョンについてもiTunes storeにおいて購入可能。さらにtoo many peopleについては、arthur bakerによるリミックス、weightlessは6会場のライブ・バージョンに加え、アコースティックとデモ・バージョンまで揃っている。

このiTunes storeの充実振りを考慮すれば、カップリング曲として唯一購入可能なstay以外のsail on/love of a woman/beautiful girl/give it all awayあたりに落ち着くということになるのだが、しかしそうなったら4曲全部収録してもらわないと中途半端な感じがするし、ボーナス・トラックとしてのお徳感という意味でも、やはりtoo many peopleとweightlessが妥当だと思われる。

もし仮にiTunes storeとの重複を避け、お徳感も加味し、さらに日本盤用のもっと凄いボーナス・トラックがあるとすれば、ネットのみで販売されていた、(件のweightlessのライブ・バージョンを含む)UKツアーを会場ごとに完全収録したライブCDが存在するのだが、そこから数曲が選ばれるということもあり得るのかもしれない。




日本盤が発売されるだけでも有難いのだから今回ばかりは余計なことを言うまい、そう肝に銘じたばかりだったが、ボーナス・トラック収録予定の報せに落ち着いていられるはずもなく、ボーナス・トラック選びにひとり盛り上がってしまいこの有様。

どうしても、輸入盤のシークレット・トラックだったeyes wide openのインストゥルメンタル・バージョン(といっても単純なカラオケではなく、まるで映画のサウンド・トラック用に編曲されたかのような素晴らしいバージョン)については、くれぐれもボーナス・トラックとして数えることなく、あくまでもシークレット・トラックとして収録してほしい...、などと余計な口を挿まずにはいられないのである。
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2009年01月30日

音楽メディア最後の良心

CDジャーナルからのメール・マガジンは、音楽雑誌では取り上げられないアーティストの情報もカバーし、さらに発売日延期等の情報更新もマメ、日本のオフィシャルサイトより余程頼りになる。

加えてその日誕生日のアーティストや過去にあった音楽にまつわる出来事などの、いわゆるトリビアも掲載されており、無料では申し訳ないくらいの充実振りで、役に立つしためにもなる、音楽好きにとっては毎晩のささやかな楽しみになっているに違いない。


ミュージック・ライフではそろそろ内容的に物足りなく、しかしロッキング・オンやクロス・ビートではポップス系のアーティストや発売日等の情報については全く物足りない...、インターネット以前のそんな時代には、毎月CDジャーナルの新譜情報を赤ペンでチェックすることが欠かせなかった。

アーティストや作品に対する思い入れも大切だが、まず作品が聴き手に届くことが何よりも優先されるべきであり、その大前提をきっちり守り続けているのがCDジャーナルなのだと思う。


昨晩(29日)のメールに、wet wet wetのtimeless日本盤発売のニュースを見つけ、やはりCDジャーナルこそ「日本における音楽メディア最後の良心」であると改めて実感した。


「UKバンドのWET WET WET、10年ぶりの復活作が日本発売決定」2009/01/29 CDジャーナル

http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=22383


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2009年01月29日

faith no moreの再結成、あると思います

カリフォルニア州インディオで開催されるコーチェラ・フェスティバル。morrisseyとblur、そしてfaith no moreの出演が噂されている。

90年代と見紛う、しかし非常に魅力的なラインナップである。

blurの急転直下の活動再開にも相当驚いたが、まさかfaith no moreにまで再結成の噂が出るとは、さらに輪をかけて驚いた。もし本当にfaith no moreの再結成が実現したとしたら、再結成ブームも悪くないということになる。


多くのフォロワーが登場し、ミクスチャー・ロックの先駆者として語られる彼等のスタイルがスタンダードとなった現在。
しかし、あまたのフォロワー達に接するにつけ、「これならfaith no moreを聴いていた方がいい」と思わずにはいられないのは、普通なら破綻してしまうはずの要素が、反発しあう分だけ余計に強力に引き合うというレベルでまさにあり得ない融合を果たしている、faith no moreの存在感が圧倒的だったからである。

フォロワー達は、その多様な音楽性についてのみミクスチャー・ロックとして分類されるのであり、faith no moreのように総体として雑多にこんがらがっていながら、見事に作品として成立し、しかもめちゃくちゃカッコイイ、そんなバンドはほかにない。そもそもミクスチャー・ロックという表現では生ぬるいくらいなのだ...。

...そんなことを考えつつ、mid-life crisisとa small victoryを聴いた翌日。
CDショップの店頭で手に取ったthe Qemistsのアルバムjoin the Q。2曲目lost weekendにmike pattonの名前があった。

そして、その日(27日)の夜。毎日届くCDジャーナルからのメール。そこにも、1月27日生まれのアーティストとしてmike pattonの名前があった。


faith no moreの再結成、何だか実現しそうな気がしてくる。
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2009年01月27日

Thundering suavity

「モリッシーが死ぬほど嫌いなセレブ2人」2009-01-26 BARKS

http://www.barks.jp/news/?id=1000046575


「死ぬ前に『蹴り倒してやりたい』人物は誰か問われたモリッシーが、セレブ・シェフ、ジェイミー・オリヴァーの名を挙げた。」

「ベジタリアンの彼は、『Maxim Canada』誌のインタヴューでこう話したという。『あの恐ろしい肉食のジェイミー“ホラー”オリヴァーだ。あいつが料理の鉄人なら、俺は1970年度のミス・ブラジルだ』さらには、この女性の名前も。『ビクトリア・ベッカムを見なくて済むなら、死ぬ価値はある』」


ジェイミー・オリヴァーなるシェフの素性については知らないが、「1970年度のミス・ブラジル」は突飛で可笑しいし、死んだ方がマシとは思わないものの、テレビで見かけるたびに「ベッカムは何故あのスパイス・ガールと結婚したのだろう?」と頭を傾げてしまう。

BARKSで取り上げられた以外では、以下のようなやりとりが面白かった。


WHILE ALIVE, WHAT DID YOU SPEND MOST OF YOUR MONEY ON?
Legal fees. 

WHAT WILL BE YOUR GREATEST LEGACY?
Thundering suavity.

ANY REGRETS ABOUT BEING OUTSPOKEN?
Whatever I said, I meant.

WHEN WERE YOU HAPPIEST?
At age 12 I could juggle a plate on a stick.

WHAT'S YOUR LAST MEAL?
The disease of smallness--tea and toast.

DO YOU HAVE A DEATHBED CONFESSION?
I've never seen myself naked. It seemed impolite to look.

TO WHOM WOULD YOU WHISPER YOUR LAST GOODBYE?
To my very best friend...myself.



相変わらず、ウィットと失笑を誘うユーモア、そして真実に満ちた発言の数々。

特に、「(自身の残し得る)偉大な伝説」が、Thundering suavity「途方もない物腰の柔らかさ」という件は、もの凄く笑えるが、その通りでもあり、実にmorrisseyらしい見事な表現だと思った。


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2009年01月26日

you see colours/delays

「ポップに選ばれたバンド」2006/5/14


ポップの概念が非常に曖昧であるから、ポップであることは難しい。時流に乗るならロックするに限る。

しかし、delaysはポップであることを選んだ。

1stシングルのvalentineを聴けば、彼等がそれにふさわしい素質を持つことがわかる。
(ブロンスキー・ビートを連想してしまう)少し懐かしいシーケンサーと美しいファルセットボイス。そして、キラキラとした陽光とともに、青い海へ深く深く潜行していくようなイメージが広がる低音の気持ちよさ。

valentineはアルバムの中でも傑出しているが、2ndシングルのhide awayや、7曲目のgiven timeなども外連味たっぷりにポップでありながら、構成といい洗練されたアレンジといい、申し分ない出来。
全編に渡って、そのポップなメロディについては、楽々と及第点をクリアしてしまっているといようなハイレベルを維持している。

「これ以上のポップアルバムは今年中には出ないだろう」と、彼等もこのアルバムには相当の自信があるようだが、それも当然のことだろう。


言葉を尽くさなければ相違を示すことが出来ないようなバンドが多い中、彼等のポップなメロディとサウンドは信頼と賞賛に値する。

ちなみに、valentineではニューオリンズを襲ったハリケーンを、you and meでは脱走兵のことを歌っている。ポップなメロディにビターな歌詞という点でもブリティッシュ・ポップの伝統を踏襲しているといえるが、個人的にはもう少し深みが欲しかった。

posted by atons at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

フィーチャリング・ワーク・シェアリング

相変わらず、女性ボーカルに男2人くらいをフィーチャリングと称してくっつけた、抱き合わせコラボがやたらと目につく日本の音楽シーン。

フィーチャリングやコラボなどと言えば聞こえはいいが、その共同作業には必然性も感じられず、何よりも曲自体に魅力がない。
ほとんどミドルテンポで切ない系恋愛ソングばかり、さらに異性の視点からのアンサーソングという安易な展開によって、もう一儲けしようとするに至っては、ひとり大きな溜息を吐くばかりである。


昨日もテレビで女性ボーカリストと男2人組というスタイルを見かけてしまった。

テレビ出演についても、平凡なコーラスや下手にメロディと絡めることで間が抜けてまるでカラオケの合いの手のようになってしまったラップ(もどき)なんて、それこそテープで済むレベルのものであり、フィーチャリング・ブームの現在でなければ、まず女性ボーカリスト1人の出演で済むはずである。

それはレコーディングについても言えることで、わざわざ他のアーティストに依頼するまでもなく、スタジオ・ミュージシャンのほうがよほど効率よく作業できるものと思われる。
曲作りにおける共同作業にしても、数人が頭を突き合わせて作った割には、平凡でのっぺりした内容ばかり。そもそもミドルテンポのありがちなラブ・バラードの製作に、仰山な人手は必要ないようにも思う。


個人名義で済むところを、最近のフィーチャリング・ブームに乗っかって、わざわざ分業制にすることで余計な人手をかけているようにしか思えない。


リストラや派遣切りという厳しい状況にある世間一般とは懸隔も甚だしく、緊張感はもちろん時代性の欠片さえ感じられないという意味においては、それこそアーティストと呼ぶことさえ躊躇われ、やはり「着うた職人」くらいのほうがしっくりくる。


そのように考えてみると、フィーチャリングの名の下に行われる必然性のない分業制は、つまりワークシェアリングと言うことができるのかもしれない。

そして、そもそも個に由来するイマジネーションやクリエイティヴィティが重視されるべき音楽という分野において、過度な分業制をとるワークシェアリングが成立してしまうことからして、それはもう音楽とは呼べない代物に違いないわけである。
posted by atons at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月24日

i thought that if you had an acoustic guitar then it meant that you were a protest singer

ソルフォード大学で教鞭をとるjohnny marr(客員)教授のためになる話。


「ジョニー・マー教授『大学でロックを学ぶのはおかしくない』」2009-01-22 BARKS

http://www.barks.jp/news/?id=1000046488


「ある記者から“大学に通って、どうやってロック・スターになるか学ぶのはおかしいんじゃないか?”って言われたことがある。時代遅れもいいとこだよ。古臭い考えだ。彼らにとって本物のロッカーっていうのは、レザー・ジャケット着てたむろして、窓に石でも投げ込んでるべきなんだろうよ。月並みだよな。俺たちはそんなところからだいぶ進化してるだろ」

「エモーションを妨げない限り、クリエイティヴの分野で教育を受けることのどこが悪いのかわからない。もし俺が16のとき、アンプや資料が山ほどあってミュージシャンがたむろしてる建物があるって言われたら、毎日15キロ歩いてでも通っただろうよ」


素晴らしい才能に恵まれながらそれを生かす術を知らないず世に出るチャンスをつかめない例もあるだろうし、ロック・スターにもボイス・トレーニングが必要だったりもする。奔放でやさぐれたロックン・ロール・スタイルばかりでは立ち行かない。そういった個性で成功する例もあるが、それも突然変異体としての物珍しさがあるからではないだろうか。

また、たとえ大学で技術や方法論を熟知したところで、そこに強烈な個性や想像力が盛られることがなければ、人の心に訴えかけるようなものは生まれない。そういった個性や想像力は、人から教えられる類のものではないのだから、そもそも大学で学ぶことがそのまま音楽業界での成功と直結するということもないのである。


しかしながら、肝心なのは教える人。

johnny marr教授でなければ、学校や会社などにまともに通うことが性に合わないゆえに、音楽の道に進まざるを得ないような音楽好き達の足を、大学などに向けさせることも叶わないだろう。

無類の音楽好き、ギターを抱え、年齢も国境も越えて才能ある若い世代のアーティスト達との交流に精を出すjohnny marrという人の、その人柄に触れるだけでも大いに価値があるというものだ。

それは当然技術や方法論に留まらず、若い世代の個性や想像力にも素晴らしい影響を与えるものであるに違いない。



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2009年01月22日

the riddle

昨晩、NHKで小泉今日子が「木枯しに抱かれて」を歌っているのを見かけた。

オリジナルとは異なるアレンジだったものの、やはりこの曲を聴くとnik kershawのthe riddleを思い起こさずにはいられない。
80年代、洋楽に親しんだ人にとってはこの「木枯しに抱かれて」が、the riddleにインスピレーションを受けて作られた、というかthe riddleを剽窃した、というかパクッたといわれても仕方ないくらい、the riddleとよく似ているというのは有名な話である。

実際、それは当時中学生だった僕の未熟な耳でもはっきりとわかるくらい似ていたし、後に「木枯しに抱かれて」しか知らない友人にthe riddleを聴かせた時は相当驚いていた。


故意なのか偶然なのかは別として、パクリや盗作を疑われるほどよく似た曲なんて星の数ほどあるだろうし、特に80年代のアイドルの作品には多かったように思う。
その中にはもちろん遊び心とか、今ならリスペクトなどと言われるような感覚など、笑って済ますことのできるものもあったが、中学生の耳にもその類似性が明らかだった「木枯しに抱かれて」は、どちらかといえばちょっと性質の悪い露骨な例といえるだろう。


したがって、nik kershawのthe riddleを80年代を代表する名曲のひとつに数える身としては、日本において冬の名曲のひとつとして取り上げられることもあるこの「木枯しに抱かれて」について、どうしてもいい印象を持てない。

それどころか、ちょっとケチがついた、後ろ暗いところがあるかもしれない、この曲を代表曲のひとつとして20年以上も歌い続けなければならないキョンキョンのことも、かけがえのない思い出の曲として聴き続けているファンのことも気の毒に思ってしまう。


作曲者としては、おそらく20年以上も歌い継がれることを想定していなかったゆえに、ちょっとした遊び心でthe riddleを拝借したということなのかもしれないが、パクリ云々以前にそういった音楽に対する軽薄な姿勢こそがこの曲に耳を傾けることを余計に邪魔しているのかもしれない。
posted by atons at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

刺激的な新曲のありがちな感想

U2のアルバムno line on the horizonからの1stシングルget on your bootsを聴いた。

簡単に言えば、offspringのpretty flyを思わせるギターにロックの定型ともいうべきグルーヴがあり、そこにエレクトリック要素が理知的なテイストを加え、さらにサイケかつ官能的な厚みのあるコーラスが新鮮な印象を与える、という感じの曲。

achtung babyの衝撃を体験した現在、「新しいサウンド云々」という意味においてはそれほど驚くべき内容ではないかもしれないが、ロックでポップで、エレクトリックな要素もあり、エモーショナルでいながら官能的でもあるというこの曲の、軽薄にすら感じられる猥雑な感触が、このうえなく刺激的であることは間違いない。

それは例えば、新人のロック・バンド特有のギラギラした感覚と同質のものであるが、そこに付随するはず初々しさや危うさなどは(当然ながら)全く感じられるはずもなく、その猥雑なギラギラした感触が、あろうことか百戦錬磨のグルーヴのもとに過剰に再現されてしまっているのである。


オバマ大統領の就任記念コンサートにおいて、prideという曲を演奏するようなバンドのイメージと、この曲の持つ軽薄で猥雑な感触は、普通決して相容れないもののはずである。
彼等のようなベテランのバンドが作る曲としても、まさに破格の軽薄さであり、彼等以外にこんな芸当ができるバンドはまずいないだろう。

矛盾する要素を雑多にしかも大量に吸収することで強大化してきたU2というバンド自体が、すでに唯一無二の存在であるわけだから、もはやその前ではサウンドの革新性云々については取るに足りないことなのかもしれない。

したがって、get on your bootsについても、新しいと言うのは躊躇われるが、U2にしか成し得ない、U2の新作でしか聴けない、猥雑でエモーショナルな最高に刺激的な曲といえると思う。

posted by atons at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

25年間

仕方のないことではあるが、boy georgeのニュースがあちこちで取り上げられている。この手の話題はブログのネタには持ってこいなのだろう。

人の口に戸は立てられないし、今さらそういった扱い自体には腹を立てることはないものの、80年代前半のboy georgeを引き合いに出し、当時の写真を持ち出して現在の風貌と比較してみたり、culture clubのkarma chameleonやdo you really want to hurt meなどの動画を貼り付けるなどして、「変わってしまった」の「あの歌声の主がこんなになるなんて...」と訳知り顔で語られては、ファンとしてはあまりいい気はしない。

boy georgeはもうとっくに80年代のboy georgeではないし、culture club時代の歌が現在の彼の素行とリンクするはずもない。


culture clubの全盛期からはすでに25年の時が流れているのだ。
その時間を考慮すれば、如何様に変化しようとも何ら驚くことも不思議がることもない。にもかかわらず、こういうスキャンダラスな話題が出た途端、ここぞとばかりに口を挿み、自らの偏った記憶に基づいてことさら驚いたり嘆息してみせるのはいかがなものか。

それはテレビのワイドショーで、犯人の小学校や中学校時代の卒業アルバムを持ち出して、「まさかあんな優しい人が...」の「そんなことをするようには見えない」などと言う、下卑たコメンテーターやテレビカメラに映りたがる野次馬の類と何ら変わるところがない。



boy georgeについて、culture club以降の25年間を知るファンは、いつの日かまたきっと素晴らしい歌とともに返り咲いてくれることを信じて疑わなかったからこそ彼を25年間追い続けたわけで、たとえこういったスキャンダラスな話題でマスコミに取り上げられることが多かったために免疫が出来ているのだとしても、その25年間をまるで無かったもののように扱い、そこから興味本位に発せられたコメントを冷静にやり過ごすことはさすがに無理な話である。


残念ながら、彼はだいぶ前から太り始めていたし、(これは個人的な感想だが)ソロとしてはculture clubの全盛期を超えるような歌も歌っていない。DJやダンス・ミュージックに現を抜かしていないで、素晴らしい歌を作ることに専念して欲しいという不満のほうが強かった。
だから、現在の彼の風貌を見たところで改めて驚くこともない。こういった事件に巻き込まれたことにしても、徒に才能を浪費したツケのようにさえ感じている。

ただそういった思いも、苦々しさや哀しみと決して無縁ではあり得ない。


音楽に親しみのない人が、今回の件をポップ・スターの転落の一例として冷やかすことはむしろ構わない。

大切なアーティストがいて、忘れられない曲があるはずの、音楽好きと思われる人達が、この愛憎半ばする複雑なファン心理に理解を示すことなく、ネット上で拾った過去の写真とyou tubeの映像を貼り付け嬉々としている状況には、本当に失望させられるのである。


posted by atons at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする