2009年04月30日

太っても左利き

southpaw grammarのデラックス盤が日本でも6月24日発売されることになった。すでに輸入盤が手元に届いた後なので、せっかく連絡をもらっても「はぁ、そうですか」と言うしかない。新譜と違い、リイシューならば2ヶ月待つこともやぶさかではないのだから、輸入盤が発売される前に告知するくらいの工夫があってもいいと思う。


未発表曲(honey,you know where to find me/fantastic bird/you should have been nice to me)と1stシングルdagenham daveのカップリング曲だったnobody loves usの4曲を追加収録し、それに伴い曲順もオリジナルとは大幅に変更されたsouthpaw grammarデラックス盤。

your arsenalレコーディング時の曲fantastic birdはさすがに浮いているし、残り2曲も当時おそらくアルバムの統一感を損なわないために外されたであろうnobody loves us等のカップリング曲に近いサウンドで、さすがに数回聴いただけでは簡単に違和感を拭い去ることは出来ない。

しかし、morrisseyの最高傑作に挙げる人もいるthe boy racerで始まり、morrisseyのカップリング史上屈指の名曲であるnobody loves usで終わるのは決して悪くない。また、アルバムとしての統一感には欠けることになったかもしれないが、多彩になった分だけ聴きやすくなったようにも思う。


そして、このデラックス盤に普通のリイシュー盤以上の価値をもたらしているのが、morrisseyによる解説である。

おそらく、アルバムにmorrissey自身の解説が掲載されること自体これまでなかったはずだし、そこかしこに歌詞が盛り込まれ多分に詩的なスタイルゆえに理解するのに骨が折れるところもあるが、当然のごとくユニークで示唆に富む内容になっていて、非常に読み応えがある。


個人的に最も興味深く読んだのが、当初brian enoとchris thomasにプロデュースを依頼するもそれぞれから断られ、再度steve lillywhiteに落ち着いたという冒頭の件。

これは、前作からかなり趣を変えた重厚で無骨なロック路線が最初からmorrisseyの念頭にあったというわけではなかったことを意味している。もしかしたら、brian enoのもとで、southpaw grammarとは180度異なるアルバムが生まれていたかもしれないということだ。

しかし、それまでのいわゆるmorrissey的なるものからの脱却を試みようという、もっと漠然とした意図がmorrisseyにあったのもまた事実であり、結果的にsteve lillywhiteのもとで作られたsouthpawが、アルバムの方向性を決定づけることになったようだ。

サウンドについては、いわば後からついて来たもので、それが偶然にmorrisseyの意図とかみ合ったと考えていいだろう。

だからこそ、そのサウンド自体も自然でヴィヴィッドであり、またmorrisseyの歌声と非常に有機的な融合を果たし得たのだと思う。


確かオリジナルの解説では、そのサウンドとボーカルの有機的な一体感が「レコーディング・スタイルの変化に起因するのではないか?」というようなことが書かれていて、後にロッキング・オンのインタビューにおいて、それがmorrisseyによって否定されたように記憶しているのだが、それはつまりこういうことだったのかと腑に落ちた感じもする。


そのほか、レコーディングの思い出も独特な切り口で語られ、現在のmorrisseyには欠かせない過度に商業化された音楽シーンについての批評もあれば、当時のレコード会社への不満も実に生き生きと描かれている。


それにしても、このデラックス盤を「めそめそと泣く太った子供(a fat, snivelling child)」とは言い得て妙。大笑いしてしまった。

しかし、たとえ太っても、鼻水をすすりながら泣いていても、時にそれが愛おしかったりもするのである。

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2009年04月29日

something is squeezing my skull/morrissey

当初の「取り扱い予定無し」が嘘だったかのような勢いで、いつになく早く届いたsomething is squeezing my skullのシングル。

HMVがリニューアルしたためか、ゴールデン・ウィーク日程ゆえか、やはりよく分からないことばかりだが、何しろすんなり届いたのは有難い。


まず、i'm throwing my arms around parisに引き続きジャケットがいい。morrisseyについては今さら何の形容も必要としないが、johnny ramoneの銅像と背景の青が絶妙であり、美しく艶めかしくその場の空気が感じられそうなほどのいい色合いである。

インナー・ジャケットも前作を踏襲した仕様になっていて、衝撃度は遠く及ばないものの、前作の撮影時に撮られたであろう楽しげな写真と、それとは対照的に静謐なイメージの絵画が用いられている。



ジャケットだけでこれほど楽しめれば、たとえCDを聴かなくても十分お釣が来そうなところに、今回はthis charming manのライブ・バージョンが収録されていて、ここでのmorrisseyの歌声がまたとんでもなく素晴らしい。

marrの繊細で切れ味鋭い唯一無二のギター・サウンドと比べてしまうと、演奏の方はどうしても落ちざるを得ないわけだが、それでも荒々しくヘヴィに再現されたサウンドとの対比により、morrisseyの強靭で美しい歌声が鮮烈に映えることこの上ない。


復帰後のライブにおいて過去の曲を演奏する際には、共作者に敬意を払いつつより歌に集中するために、オリジナルに忠実に再現される傾向にあったが、this charming manに関しては、現在のmorrisseyの歌声に適したアレンジが敢えて施されているように感じられる。

オリジナルに遠慮するような演奏では、morrisseyの歌声が強烈過ぎてバランスを欠いてしまう。それならばその歌声を中心に据えた新しいアレンジのほうがいいということになったのではないだろうか...。

そうとしか思えないほど現在のmorrisseyの歌声は凄い。

全てはmorrisseyの歌声を中心に回っているはずである。
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2009年04月28日

朝のテレビ

平日の朝は「めざましテレビ」を見ることが多い。

みのもんたの酒臭そうな顔はどうも朝向きではないし、独特のタメが余計に便意を刺激して厄介だ。かつて野球好きだった頃、あまりの巨人贔屓と天下り解説者の低レベルに辟易して以来、朝にズームインしたことは一度もない。朝の視聴習慣を変えるには系列局の開局が遅きに失したテレビ朝日に至っては、何をやっているんだかわからない。そろそろNHKのほうが静かでいいと感じる年齢ではあるが、まだ軽薄さも抜けず、音楽の話題も気になるということで、どちらかといえば消去法で「めざましテレビ」である。


実際、大塚さんのしどろもどろ振りは目に余るし、軽部アナが芸能専門の気楽な仕事ばかりしていると思うと癪に障る(違っていたらゴメンナサイ)。

よどみなく、しかも絶妙のタイミングに適切なコメントを加える高島アナの技術の高さに関心させられる点を除けば、ほとんど気に入らないところばかりである。



主題歌もまた然りで、「『めざましテレビ』のテーマ曲に名曲なし」というのが持論になっている。

4月からの新しいテーマ曲も残念ながら例外とならず、加えていやに騒々しい曲なので、これがあと数ヶ月か1年も続くのだとしたら、いよいよNHKにしなければならない。特に天気コーナーのたびに「あぁ〜っ」と始まるのが非常に耳障りだ。


今朝も「うるさいなぁ」と思いつつ見るともなく見ていたのだが、天気コーナーが終わりスッと一瞬の静寂が訪れホッとしたところに、懐かしい曲が聞こえてきた。


GAOの「サヨナラ」という1992年のヒット曲だった。

当時ドラマ主題歌として毎週のように耳にした曲で、ドラマの内容は忘れてしまったものの、この曲はしっかりと耳に残っていた。

CDを持っていたわけでもなく(当時音楽を聴きそうにない友人の部屋で、この曲のCDシングルを見つけて驚いたことも思い出した)、GAOについてもこの曲しか知らないのだが、やはりいい曲というのはそう簡単に忘れられるものではない。

ほんの数秒前の不快感がウソのように、ハスキーな声にも関わらず、切なくて清々しいメロディがスーッと体にしみこんでいくようだった。


久し振りに日本の曲で、純粋にいいと思える曲を聴いたような気がした。そして、再び聞こえてきた一際耳障りな「あぁ〜」に、改めて「『めざましテレビ』のテーマ曲に名曲なし」の思いを強くした。


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2009年04月27日

scritti politti時間

scritti polittiもすっかり消息不明だなぁと思い、ちょっと数えてみると、前作white bread black beerからすでに早3年が経過している。

いや、これまで最長11年、前作まで7年待たされたファンにしてみれば、まだ3年である。
scritti polittiについては、3年の空白など可愛いものである。


前作リリース後、初めて重い腰を上げてライブにも精を出すなど超活動的だったという、その1点のみに非常に淡い期待を込めて「もしかしたら..」と調べてみても、当然のごとくそれらしい情報は見当たらない。しかし淡いとはいえ、まだ3年しか経っていないのに期待すること自体が間違いなのだからガッカリすることもない。

むしろ突如として活動的になった反動により、これまでにも増して長い空白になるかもしれないということを覚悟しておかなければならないし、さらには、あれがまさに火が消える寸前の最後の輝きだったなんてことにならなければ、それだけでもう御の字という心構えでなければならないのである。


これがいわゆるscritti politti時間というものだ。


その時間軸は流動的で定まらず、いくらでも遅くなることはあっても早くなったり規則的になることは絶対的にあり得ない。もちろん一般的な尺度は全く頼りにならず、指折り数え何かを待つなどは無謀以外の何ものでもない。

出来ることといえば、待つことを忘れるほど気長に待つとも無く待っていた新作が届けられた後、改めて振り返ってみた時に、その途方もない時間の長さに驚きながら、その長い空白にたちまち満ち溢れるがごとき豊穣なる音の世界に身を委ねることだけである。


世知辛く、相変わらず人の心の中までグラグラと定まらない世の中にあって、これほど音沙汰がないにも関わらず、ふとscritti polittiを聴きたくなるのは、その作品のクオリティはもちろん、green gartsideを取り巻くscritti politti時間への憧れや畏敬の念が作用しいるような気がしてならない。

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2009年04月26日

希望的観測?

ウィキペディアのduran duranのページにこんな一文を見つけた。

In a phone interview in April 2009, Roger Taylor said he was hopeful new material would be played at select summer shows and that a new single or EP would be released in Fall 2009 and a full album in Winter 2010.


あくまでもrogerの希望的観測ではあるものの、今年の夏のライブで新曲披露、秋にシングル、そして2010年冬にはアルバム発売。

経験上、最初は「2010年の冬」を「2010年の11月か12月」と解釈したのだが、普通の感覚で考えれば「2010年の1月から3月にかけて」ということになるだろう。これは、rogerのブログにおける、

We’re also happy to be hard at work in the studio, writing some really great sounding new music. Dare I say there could be a Duran Duran release in 2009? There! I’ve said it….with us, anything is possible!

この一節とも符号する。2009年中にアルバムなんて絶対無理だと思ったが、なるほどシングルならあり得ないこともない。


過去のduran duranの新作リリースに至る紆余曲折を幾度と無く味わったファンなら、この希望的観測を鵜呑みにしてはいけないことは身に沁みてよく分かっているが、その一方でコメントの主がrogerであるだけに、やけに説得力を感じてしまうのもまたファン心理である。


仮にこの一連の流れが現実のものとなれば、6月29日リリース予定のrioのデラックス盤とlive in hammersmith '82に始まり、夏にはライブで披露された新曲がyou tubeで聴けるようになり、秋にシングル、年明けにアルバム...と、俄かにduran duran周辺が騒がしくなるわけで、ニューマテリアルに関しては、とにかく来年以降の話だろうと油断していた立場からすると、意表を衝かれたような思いもある。


しかし、賢明なファンならばこの通りに運ばないほうに賭けるのが普通であり、アルバムなら、ちょうどred carpet massacreから3年後となる2010年秋辺りが本命、年明けの線は超大穴と言っていい。

果たして、前代未聞の順調なリリースとなるか、それともやはり過去の例にもれず流れに流れ紆余曲折を辿るのか、それもduran duranの新作を待つ際の楽しみのひとつではある。


ただし、johnとrogerの近況報告から窺えるのは、間違いなくレコーディングが順調に運び、しかも彼らがそれに確かな手ごたえを感じているということであり、今回ばかりはrogerの希望的観測に乗ってみてもいいのかもしれない。




posted by atons at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | duran duran | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

またしても賛否両論

johnのブログによると、mark ronsonとのレコーディングも順調、kaiser chiefsのnick hodgsonとのコラボもいい刺激になったようで、ファンとしては嬉しい限りである。

新作への期待も余計に高まり、もしかしたら予想より早く新作が聴けるかもしれないなどと、duran duranのファンとしてはあまりに迂闊な妄想にさえつい踏み込んでしまいそうになる。


特に、nick hodgsonによる“northern interpretation of planet earth”のドラム・プレイに興奮する件(新作発表後のライブでは、是非ともそのplanet earth新解釈バージョンを聴いてみたい)などは、演奏することの喜びにも溢れているのはもちろん、新しい刺激に対して常にオープンな相変わらずの音楽好きな様子もよく現れていて、こういったところが失われない限りduran duranは大丈夫だという確信さえ抱けるのである。

だから、売れなかった前作へ対する手のひら返しの冷たさも、お約束でもあるし、またそれだけ前を向いている証拠として好意的に受けとめなければならないのだが、例えば次の件などは、前作のことを気に入らなかったファンからすれば、「ほら言わんこっちゃない」とか「やっぱり初期3作こそduran duranなんだよ」などと言われかねないような内容であり、前作を支持したファンとしては非常に複雑な気持になる。


Mark seems intent on delivering the DD album the fans have wanted for years. One that has the drive and freshness of the first few albums, that is quintessentially hip, without sacrificing any of the hard-earned personality and character of the musicians, something which sadly was lost when Timbaland and Timberlake were in the house.

So Mark has me playing, and Roger playing, and Nick playing, hotter and harder than we have in years.


「timbalandとのコラボレーションも大成功だった」などと誉めそやした身としては、肩身も狭くならざるを得ないのだが、それでもred carpet massacreに対する評価も、売れなかった原因がfalling downを1stシングルにしてしまったことに尽きるという考えも変わらない。

duran duranにしても、timbalandと組んだ時点でそれほど演奏させてもらえないことなど百も承知だったわけで、それを今さら愚痴らざるを得ない理由があるとすれば、つまり売れなかったからということになるだろう。

そもそもよほど売れない限り、賛否両論となるのは必至であるし、それが作品ごとに違うアプローチを試みるduran duranともなると尚更のこと。実際、こういった後味の悪さも過去に何度か経験済みである。

したがって、ここぞとばかりに噴出するであろうred carpet massacreに対する否定的な意見も、しばらくの間は黙ってやり過ごすこともできる。


そして、ライブ指向の強いサウンドになるであろう来るべき新作が、決して初期3作に回帰した内容には成り得ず、またしてもファンの想像とは異なる、新しいduran duranサウンドになることもまたよく分かっているつもりである。


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2009年04月24日

prodigal son

何とかいうグループのひとりがラップで自己紹介をする。普通に話せば10秒で済むところをラップに乗せるものだから余計に時間がかかる。余計に時間をかけた分だけ、なるほど流石だな、凄いなという感じが残ればよかったのだが、残念ながら好印象は皆無である。ただ眉間のシワやら溜息やら目まいやら...、それがもたらす不快感には事欠かないところが凄いといえば凄いし、ラップなのにキレも迫力もグルーヴも無いところなどはもっと凄い。

よくよく見れば、その風貌にもキレがなく、顔も身体もいい具合に丸みを帯びてぶよぶよしている。
無理すれば「眼光鋭い」と言えなくもない目つきも、実は単に悪いだけである。全体的にどんより曇った雰囲気は、家業はそっちのけで趣味に現を抜かす出来の悪い3代目という感じがして仕方ない。


曲が流れるとヘロヘロでフラフラな自己紹介ラップから一転して、やたらと威勢がいい。ただ全編に渡って、だみ声でひたすらがなり立てる日本ではよく耳にするスタイルだけだから、物足りなく、何しろとても退屈である。


不思議とそれほど不快感もないのだが、その代わり笑いがこみ上げてきたり、少々場違いな気がして、どのみちまともには聴いていられない。

もちろん笑いがこみ上げてくるのは、そのラップが青空球児・好児の「ゲロゲ〜ロ」に似ているからであり、場違いな気がするのはそのラップが市場での競りの掛け声にも似ているからである。



アメリカの航空会社の客室乗務員がラップに乗せて機内説明をする様子には、ノリもよく面白いし、流石だなぁと関心させられたし、eminemの新曲we made youを聴いて思うのは、やはりその声に圧倒的な存在感と、たとえ僕のような門外漢でも耳を奪われる有無を言わさぬパワーがあるということ。


ぬくぬくと育った放蕩息子の3代目には、「ラップなんて歌うより簡単そう」とか「俺にも出来そう」みたいな軽い気持が透けて見えてしまうのだが、ラップするには全身の細胞と直結したリズム感とかオリジナルな言語感覚などは必須だろうし、何よりも声に力がなければ話にならず、そうでなければ「ゲロゲ〜ロ」にも市場の競りの掛け声にも遠く及ばないのである。
posted by atons at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月23日

とまどいのsandy dane

MySpaceでフレンド・リクエストを頂いたアーティストの曲は、こちらとしてもいい作品に出会う機会として、一目見て明らかにタイプが違う場合以外は、なるべく聴いてみるようにしているのだが、残念ながらこれといった作品にはなかなかめぐり合わずにいた。

ところが昨晩聴いたsandy daneというオランダの女性アーティストには、初めてしかも強烈に耳を奪われた。フェイヴァリットに名前があったjames morrisonつながりで、僕のところへフレンド・リクエストが届いたものと思われる。


デビュー・シングルのpeace,love & icecreamは、タイトルからイメージされるままの、アコースティック・ギターが気持ちいいナチュラルなポップスであり、声もそこにピッタリはまるいわゆる癒し系。

失礼を承知で言えば、全くもって想定内のごくごく平凡な内容。確かに曲も歌声も魅力的には違いないのだが、ここ最近やたらと見かけるそういった類のアーティストや作品と、どこが違うのかと問われると途端に口ごもってしまうタイプである。

しかし、それなのに耳を捉えて離さず、身体への染み渡り方も尋常じゃない。よくあるタイプの曲や声だとはいうものの、どうしてもそんな一言では片付けられないような不思議な魅力がある。

この手の曲に接する機会があっても、普段なら「気持ちのいい曲だなぁ」くらいの印象で終わり、改まって聴いてみようとはまず思わないし、聴いても眠くなるのが常である。

だからこの曲に限ってというのがどうしても合点がいかず、半信半疑で他の曲も聴いてみたのだが、やはりいい。remedyという曲などは1回聴いただけで、ジーンときてしまった。


自然で気持のいい歌声を聴いて確かに感動しているのに、戸惑うというのもおかしな話だが、あまりに普通なのにあまりにジーンと胸に迫るのが、例えば聴いた途端に身体中に電気が走るような感覚とはあまりにかけ離れていて、妙に落ち着かない。
ごく自然なものが不自然なほど自然に身体に入り込んでくるというややこしい感覚なのである。


ひとつ言えるのは、その声が決してナチュラルだけでなく、you tubeでの生歌を聴いても明らかなように、巧さと華やかさを兼ね備えているということ。

最近のオーディション番組出身のアーティストが歌うような曲を歌ってもしっくりくるような技量と雰囲気がありながら、これほどまでに自然に聴かせる点こそが彼女の非凡なところなのかもしれない。

しかしそれでも、ごく自然なものが不自然なほどに自然に身体に入り込み、不自然なほどに心を揺さぶるという、この感覚を説明しきれるはずもなく、やはりまだ戸惑ったまま、peace, love & icecreamを何度も聴いているのである。

SandyDaneTV
http://www.youtube.com/user/SandyDaneTV

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2009年04月22日

ここにもmark ronson

timeless日本盤は発売延期のまま、依然としてその消息は不明である。

timelessの場合、輸入盤が入手可能であり、wet wet wetにしても次のアルバムへ向けての曲作りが始まっているから、今さらレコード会社に期待した自分を反省すれば済むだけの話である。

しかし、ちょっと油断しているうちに前作からすでに2年や3年を経過したバンドについてはそうもいかない。特に前作の売れ行きがイマイチだったバンドとなると、不景気の折、つい良からぬ考えも頭を過ぎる。


実際、the thrillsはあれほど素晴らしい3rdアルバムteenagerをリリースしながらも、やはりセールス的には失敗だったために、レコード会社との契約が解除されているようだし、オフィシャルやMySpaceを覗いても新作についての情報等は見当たらない。

2ndアルバムculture vulturesで惨敗したorsonに至っては、かろうじてMySpaceこそ開店休業状態だったものの、オフィシャルサイトはついにたどり着けなかった。



これでは、デビューアルバムgirls and weatherが、the thrillsやorsonとは比較にならないほどパッとしなかったthe rumble stripsなどは推して知るべしといったところ。

とはいうものの、いまだにno soul/girls and boys in love/motorcycleの3曲はよく聴くし、いいバンドには違いなく、それならせめて最後を見届けなければという寂しい気持ちで調べてみたら...、驚いた。


6月にwelcome to the walk alonenなる2ndアルバムがリリースされるとのこと。

しかも、mark ronsonプロデュース(the rumble stripsはamy winehouseのback to blackをカバー。ボーカルのcharieはmark ronsonのステージで共演済み)。さらに、最近ではpet shop boysのyesにも参加したowen pallettがストリングス・アレンジを担当。

...ということで、失礼ながらまさかまさかの大注目2ndアルバムのリリースが、目前に迫っていたわけである。

すでに公開済みの曲londonも、そう簡単に変わるはずもない彼等らしさを存分に残しつつ、やはりmark ronson的なスタンダード感が加わり、ビートを中心に適度に洗練され、よりメインストリーム指向へとシフトした好ナンバー。


最も不安に感じていたバンドの新作が、最も間近の最も楽しみな作品になるとは...。しかもまたしてもmark ronson絡みとは...。嬉しい驚きとは、まさにこのことだ。

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2009年04月21日

where's “roy's keen”?

時折キャンセルの情報も聞こえてくる中、コーチェラ・フェスティヴァルのステージは無事に勤めたと思っていたら、こんなことがあったらしい。


「モリッシー、BBQの臭いに辟易しステージを降りる」2009-04-21 BARKS
http://www.barks.jp/news/?id=1000048821

「厳格なベジタリアンのモリッシーは、コーチェラ・フェスティヴァルでパフォーマンス中、近くのスタンドから漂う肉を焼く臭いに気分が悪くなり、一時、ステージを降りてしまったそうだ。

Xfmが伝えるところによると、モリッシーはセットの合間に『肉の焼ける臭いがする…。人間だといいんだがな』と皮肉った後、ザ・スミスの『Some Girls Are Bigger Than Others』をパフォーマンス中、ステージを立ち去ってしまったという。

その後すぐにステージへ戻ったものの、『動物の肉を焼く臭いには気分が悪くなる』と不満をもらしたそうだ。」



桜の花にタバコや食べ物の臭いのように、せっかくのmorrisseyのステージにバーベキューの臭いでは、本人にとって不快この上ないのはもちろん、ファンにとっても実に興ざめである。そのまま帰らなかっただけでも良しとしなければならないし、またそれだけ現在のmorrisseyが歌うことに重きを置いていることが窺えるエピソードであると思う。

しかし、何かにつけて一筋縄では行かないあたりが、いかにもmorrissey的である。


southpaw grammarとmaladjustedのデラックス・リイシュー盤もまさにその如くであり、まず曲順を変更するだけでも珍しいうえに、maladjustedについては、気がつけばオリジナル盤に収録されていた2曲が削られてしまっていたりする。

それが他に比べて見劣りする楽曲であれば致し方ない面もあるだろうが、今回削られるroy's keenとpapa jackはいずれもいい曲であるし、しかもroy's keenはアルバムからの2ndシングルでもあるのだ。


そもそもmaladjustedは楽曲が粒ぞろいで、凡人からすればいずれかを削るという発想自体があり得ない。また、その一方で確かにmorrissey史上最もストレートな問題作でありながら明らかに楽曲としての魅力には乏しい、sorrow will come in the endが収録されるのだから、いよいよ謎は深まるばかりなのである。

珠玉のカップリング曲たちが収録され、アルバム全体としてよりメロディアスにボリューム・アップしたために全体のバランスを考慮して...とか、現在に至りその2曲のクオリティに何か不満な点が生じたため...とか、morrisseyの美的感覚に由来するということはわかる。


しかし、実際そういった理由が明らかになったところで、ただでさえ一筋縄では行かないmorrissey流の、さらに超個人的嗜好によることには変わりない。いくら彼を愛するファンでもその詳細までは到底理解できないはずだし、それが簡単に理解できるようでもつまらない。

それだけにほとんど新しい作品として味わうことも可能になるわけで、まるで一人旅の際にセルフ・タイマーで撮ったかのようなユニークな新しいジャケットとともに、ありふれたリイシュー盤などとは比較にならないほどに楽しみな1枚となったのもまたmorrissey流のやり方のおかげなのである。


posted by atons at 21:06| Comment(2) | TrackBack(0) | morrissey | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする