2009年05月31日

今日もcage the elephant

今日も朝から晩までcage the elephant。他の曲を聴いてもcage the elephantが気になるし、外出しても、テレビを見ても、本を読んでも、ことごとくうわの空。しかもいざ聴くとなれば、最初から最後まで1曲もとばすことなく聴かずにはいられない。

普通、氏素性を知らない新人バンドについてはいくら気に入ったとしても、さすがに拙い自分の耳だけを頼りにするのは心許なく、諸手を挙げて絶賛してもいいものかどうか、ついyou tubeやらオフィシャルやらウィキペディアで演奏の様子や評判などをチェックせずにはいられないのだが、cage the elephantについてはMySpaceでフレンドになってもらっただけで、いまだに演奏する彼等を見ていないし、アメリカ出身の5人組ということくらいしか知らない。

不安を感じる余裕も無ければ、彼がどんなバンドなのかを調べる間も惜しい。とにかく今はcage the elephantのグルーヴにひたすら身を委ねていたい。


素晴らしいアルバムに出会えたことに加えて、情報が先行しがちなこの時代に、純粋に音楽だけでここまで心奪われてしまったことが何とも嬉しい。

もちろんcage the elephantと僕との間には、1年前にリリース済みだったことを知らずにいた迂闊な自分、フジロックに招聘したプロモーター、試聴ブースにこのアルバムを置いたCDショップの店員等々、少なく見積もってもこれだけのものが介在するわけだが、それでも音楽情報サイトや音楽雑誌から情報を得て、オフィシャルで試聴、you tubeで映像を確認、時にはamazonのレビューまでも参考にした挙句にCDを手にするのと比べると、実にスッキリとして気分がいい。


情報を遮断するだけでも難しいのに、そこで出会ったのがとんでもなく相性のいいアーティストだったということになると、それはほとんど奇跡である。僕にとってもhard-fi以来4年ぶりのこと。

好きなアーティストの新作を心待ちにするとか、あらゆる情報を手繰って自分の耳に合う音楽を探すことは無論楽しいが、この4年に1度の奇跡は殊更音楽の素晴らしさや音楽を聴くことの喜びを実感させてくれるのである。
posted by atons at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

cage the elephant

捨て曲無し。エキセントリックかつダイナミックなボーカルと、扇情的でもありサイケデリックでもあり、さらには躍動的なリフまでも決めるギターが中心となりグイグイと牽引するグルーヴに身を委ねるうちに、気づけば全11曲37分がまさにあっという間。

新人らしい衝動に裏づけられた強烈なグルーヴに留まらず、新人らしからぬ巧みさまでも凝縮された見事なデビュー・アルバムだ。


ファンキーでダンサブルでヒップなグルーヴ指向のロックと言ってしまえば、いかにもありがちで安っぽく聞こえてしまうが、そこへさらにブルージーでアーシーなテイストも加わり、また雑多な感触の中にアーティスティックなサウンドセンスも顔をのぞかせ、随所にハッとさせられる。

そういった要素が直接身体に訴えかける強烈なグルーヴへと昇華されるだけでも十分なところに、各曲も決して散漫になることなく、それどころか即効性の高いフックが効きまくっているのだから凄い。


とはいえデビュー・アルバムには違いなく、過不足が感じられる点もあれば、グルーヴ自体もまだ強靭と呼ぶには躊躇いがある。しかし、バンド全体がとにかく一心不乱にオリジナルなグルーヴへと邁進するが如き鮮烈な印象は、例えばレッチリの初期にも重なる。

たとえそれが見当違いや時期尚早な過大評価であったとしても、少なくともこのcage the elephantが、近い将来レッチリ級のグルーヴを獲得する資質と心意気を有していることについては、アルバムを聴いた人ならもれなく賛同してもらえると思う。

posted by atons at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

久し振りの感覚

pet shop boysのyes以降、期待の新作もひと休み。ちょっと気になったアーティストを試聴してみてもピンと来ない。そんな寂しい状態がしばらく続いた。

昨日もCDショップで手当たり次第に試聴してみたが、やはりどれも物足りない。ついに僕にはあまり縁のないフジロック関連のブースにまで手を出した。とはいうものの試聴できるのはoasisとfranz ferdinandとあと一組だけで、つまりそれにピンと来なければ、きょうも肩を落として静かに店を後にすることになってしまう。

しかし、その最後の希望は聴いたことも見たことも無いバンド、ジャケットも奇妙なデザイン。期待をかけるにはあまりに条件が悪く、半ば諦めながらその得体の知れないcage the elephantなるバンドのアルバムを試聴してみた。


1曲目のイントロこそ、そんな冷めた気持を引きずり「悪くない」などとやせ我慢していたものの、どうしても耳を離すことが出来ないまま結局5曲目までほぼフルで聴いてしまった。久し振りの大興奮。事前の情報無しでこれほど衝撃を受けたのは、hard-fiの1st以来である。

ファンキーでブルージーでヒップで、最高にカッコイイ。何よりこの全編を貫く強烈なグルーヴには抗えない。店頭のポップには「アメリカ版arctic monkeys」と書いてあったが、高揚した気分にまかせて言えば、これはred hot chili peppers級の衝撃だ。しかも、すでに自らが定型となってしまった感もあるred hot chili peppersより、荒削りで自由度が高い分だけより刺激的。個人的には、その堂に入った強靭一歩手前のグルーヴは、arctic monkeysのそれと比較することさえ違和感がある。



家に帰り夢中で続けざまに聴いた後、やっと正気に戻って一体どんなバンドの如何なるアルバムなのか調べてみた。

アメリカの新人バンドのデビュー・アルバムで、驚いたのはイギリスでは約1年前にすでにリリース済みだったということ。別にイギリス先行は構わないのだが、この素晴らしいアルバムがすでに1年前に世に出ていたというのにその存在すら知らず、昨日偶然しかも半ば諦めて試聴しなければそのまま知らずにいたのだということを考えるとゾッとするし、これこそ奇跡的な出会いだと思わずにいられなかった。


フジロックでの来日に先駆けて6月24日に日本盤の発売も決定している。

今のところイギリスでも、先日発売されたアメリカでも大きなヒットに至ってないというのは本当に信じがたいのだが、日本を皮切りに、改めて世界中を席巻するのも時間の問題だと思う。

posted by atons at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

undiscovered/james morrison

「james morrison のソウルミュージック」2006/10/21


現在世界を席捲している感があるR&B・ソウルの類は、クールすぎるし、どこかスタイルばかりが先行しているような気がして、馴染めない。耳を引く音使いがあったとしても、それは感動というよりも驚きと言ったほうがいい。熱唱するバラードも、あの耐え難いメロドラマ風PVのように、涙を強いる押し付けがましいところが気に入らない。


james morrisonの歌は久し振りに聴いた、暖かく優しいソウルミュージック。

全身を使って歌うかのように瑞々しく弾む彼の歌声は、もの悲しい詩や曲調においても決してクールにならなず、ひたすら暖かい。じんわりと聴くものの身体に染みてくる。


ダイナミックにロックのグルーヴに乗るunder the influence、ベビーフェイスが歌ってもおかしくないソウルバラードthe pieces don't fit anymore、R&B調のone last chance、ブリティッシュポップ色も感じられるthis boy、ブルージーなif the rain must fall。歌声の圧倒的な存在感に引けをとらない、多様でしかもオーセンティックな曲作りのセンスも素晴らしい。


ブラックミュージック的なサウンドや、ハスキーな歌声があるからといって、ソウルミュージックが生まれるわけではない。どうしても歌いたい歌があって、そこに魂が込められた時にはじめてソウルミュージックが生まれるのだ。彼の優しく暖かい歌声を聴くたびに、そう思わすにはいられないし、このアルバムには、間違いなくその瞬間、つまりソウルミュージックが生まれる瞬間が見事に収められている。

posted by atons at 19:43| Comment(0) | TrackBack(0) | james morrison | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

モスキート音楽

若い世代の聴く音楽を「全部同じに聞こえる」とか「よくわからない」と切り捨てるのが大人というもの。それが本当なのか、そうすることで威厳を示そうとしするのかは分からないが、とにかく自分はそういうことを言わない大人になりたいと思ったことがある。


幸いにもこれまでのところ、流行りの音楽が全て同じように聞こえるなんてことはない。

似非ソウルや超軽量R&Bや単細胞ロックや歌謡HIP HOPが氾濫しているので、つい批判めいたことばかりが口をつき、傍から見ればほとんど「全部同じに聞こえる」的な大人のスタンスと変わらないように映ってしまうのは口惜しいが、常に「いいものはいい」と言える準備は出来ているつもりである。それどころか「これは素晴らしい」と言いたくて仕方ない。

真に感動できる音楽との出会いを求めているからこそ、現状に対する失望も大きくなるわけで、最近ではこんな状況がずっと続くようなら、いっそのこと全部同じように聞こえるほうがいいとさえ思うことがある。

なまじっか聞き分けることが出来るからこそ、その質に拘らざるを得ず、批判ともいちゃもんとも愚痴ともつかぬ減らず口を叩いてしまう。

「今の若いもんは」的偏見か、本当にどれも同じように聞こえる鈍感さにより、そういった音楽をひとまとめにしてやり過ごすことができたら、どれほど気楽でいいか分からないし、余計な口を利かないだけもっと大人の威厳も備わったに違いない...。




これだけ一律に不快に聞こえるのは、例えば大人だけに不快に聞こえる「逆モスキート音」のようなものが存在していて、僕はそれに対して素直な反応を示しているだけなのではないか?


そもそも若者にしか聞こえないモスキート音で曲を作れば、似非ソウルや超軽量R&Bを聴かなくて済むし、フィーチャリングもコラボも純粋にワークシェアリングの一環として好意的に受けとめることができるのではないか?


自分でも嫌気がさすほど日本の音楽への批判が頭を過ぎるので、そんなくだらないことでも考えなければやっていられない。

posted by atons at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

リフレックスがリラックスの世界

デュラン・デュランのことが好きだったという人がいる。こちらがたずねる前に、最近の曲はあまり知らないが、やはり「リラックス」が一番好きな曲だと言う。

単純に語感にまつわる混同ならばやり過ごせるものの、デュラン・デュランが好きだったとわざわざ断ったうえでリフレックスをリラックスと間違うのだから厄介だ。


その一方で、「偶然テレビで聞いたリフレックスが耳から離れず、you tubeで映像を探し、iTunes storeでベスト盤をダウンロードし、改めて聴いてみたら、80年代は単なるアイドルとしか思わなかったデュラン・デュランも悪くないじゃない、でもまだやっていたとは思わなかった」と言う人がいる。

ふらりとduran duran周辺にやって来たかと思ったら、まるで全てが自分中心に回っていて、それはduran duranやそのファンさえ例外ではないという独断と偏見に満ちた口を利く。これもまた厄介である。


「どの曲が好きか」とか「duran duranについてどう思うか」などとこちらからたずねたわけでもないのに、好きだったといって迂闊さをひけらかし、それほど好きでもなかったといって狭量な偏見をさらけだす。

好きでも嫌いでも、どうでもいいなら尚のこと、自分で了解していればいいものを黙っていられないのが今の時代の人間のようである。


僕も例外を免れず、こうやって愚にもつかないことを書き連ねるのも、つまりそれと変わるところが無いのかもしれないと思ったら急に心細くなり、reflexがrelaxでも一向構わない、今はそういう世の中なんだというような気がしてきた。


だから、テレビのBGMで流れたbruce springsteenのborn to runについて、出演者が

「いや〜、僕はこの曲が大好きでねぇ、ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』、これは確か1979年頃の曲...」

と見事に何ひとつ正しくない注釈を付け加えたのも、呆れるよりはむしろ憐れむような気持で受けとめざるを得なかった。

posted by atons at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

適当

地元のテレビ局の情報番組で今さらインフルエンザ対策を特集していた。

手の洗い方にうがいの方法、マスクのつけ方、いずれも全国放送のニュースや情報番組で連日繰り返し取り上げられたものと全く同じ内容。それこそ飽きるほど目にしているわけで、関西から遠く離れたこの地にインフルエンザ患者が出たというのであれば話は別だが、全国的にも収束に向かいつつあるとも言われているこのタイミングで、一から噛み砕いて手洗いうがいにマスクのつけ方まで放送する真っ当な理由はどこをどう探しても見つからない。


全国放送の番組など見向きもせず、その地元の番組を唯一の情報源にしている、奇特な忠誠心を持つ視聴者が相当数存在し、その視聴者に対しての責任感のなせる業と考えることもできないではないが、それならもっと早くに放送するべきだろう。

となると他に今さらしかも全国放送の後追い放送する理由があるとすれば、インフルエンザ対策で企画が一本もうかるという辺りだろうか。内容は全国放送に倣うまでもなく決まりきっているから頭を捻る必要も無い。どこかの医者を引っ張り出し、テレビ局内で手を洗ったり、うがいする様子を撮影してしまえば済む。もちろん経費もかからない。
プレゼント応募の際、番組への感想や意見を求められても何も思い浮かばなければ「インフルエンザ対策をお願いします」などと書いてお茶を濁す視聴者も多く、自然と「視聴者からのリクエスト」という立派な言い訳も成り立つ。

これではインフルエンザ対策を放送しないほうが損である。今さらではない、今だからこそテレビ局にとっては放送する理由があるに違いない。

今に始まった話ではないが、あまりに適当で心が感じられないのにはほとほと呆れてしまう。



高田純次が、アーティスト名「平凡パンチ」として「ケメ子の歌」をカバーしたというニュースを目にした。

それ自体はどうでもいいニュースだが、「どうしてカバーしようと思ったのか」という問いに、高田純次が「昔ヒットした曲歌ったら、またヒットするかと思って」と答えたのが非常に面白かった。

例の美空ひばりのstardustをカバーする件にまつわるムカつきがなかなか解消されない中、久し振りに日本の音楽関連(?)の話題で胸がすくような思いがした。というのも、無論高田純次はただふざけているだけだろうが、「昔ヒットした曲歌ったら、またヒットするかと思って」というのは、カバー・ブームに乗じているだけなのに、それなりの理由で取り繕おうとするアーティストもどき達への最大級の皮肉足り得るからである。



本当は単なる手抜きに過ぎないのに、もっともらしい顔をして今さらインフルエンザ対策を放送するテレビ番組と、「昔ヒットした曲歌ったら、またヒットするかと思って」とふざけたコメントをした高田純次。どちらも適当であることに変わりはないが、笑えて真に迫っているだけ高田純次のほうが余程偉いと思う。
posted by atons at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

ronson/duran duran

duran duranのオフィシャルを覗いたら、

Producer Mark Ronson made an appearance on the Radio 1's Zane Lowe Show, where he played the DJ a “new”version of RIO the band recorded JUST for Ronson….

という一文があったので、早速興奮気味にそのラジオを聴いてみたのだが、new versionは大袈裟で何のことはないrioがronsonになっただけの替え歌のようなものだった。

いくらでも新作レコーディングについての断片が欲しい時期だけに、余計に期待してしまったせいで正直言ってかなりがっかりした。

ただ、こういう作業が楽しいのは分かるし、ちょうど今日は近所の小学校が運動会で、朝から子供達の元気な声援や歌声が聞こえてきて、このrioならぬronsonについても、歌の一節を「赤組、白組」に置き換えて歌う応援歌じゃあるまいし...などとくだらぬことを考えるうちに、かえってほのぼのとした気分になった。

当然レコーディングが順調に運んでいる証でもあるだろうし、例によってduran duranに対してシニカルなDJを前にしても、duran duranのファンであることを公言できるmark ronsonは、改めてプロデューサーとして適任だとも思えた。


同じくプロデュースを手がけたthe rumble stripsの2ndアルバムwelcome to the walk alone(7月13日発売予定)から、not the only personとdanielを聴くことができたが、特にdanielの方はマイナー調のメロディと重厚なサウンドが新鮮で、先日のlondonとあわせて、アルバムのほうも大いに期待して良さそうである。



遠くに運動会の賑わいを聞きながら、rioならぬronsonから感じられる微笑ましいムードに乗じて妄想させてもらえば、the rumble stripsのwelcome to the walk aloneを聴いているうちに、気がついたらduran duranの新曲のリリースが目前に迫っていて、さらに来年早々にリリースされるアルバムの初回盤には、昨年の7月2日にパリで行われたSmirnoff Unites Music Titans for Unique Live Event:Duran Duran vs. Mark Ronson and MoreのDVDが付き、アルバムももちろん大ヒットするはずである。

http://www.duranduran.com/wordpress/wp-content/2009/05/ronson_on_zane.mp3
posted by atons at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | duran duran | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

ヴォリューム満点、しかも安い!

blow monkeys来日決定のニュースに再びdevil's tavern熱が高まり、その流れでbe not afraidを聴く回数も増えている。

be not afraidは彼等の5枚目のアルバムspringtime for the worldに収録された曲。ワールド・ミュージックの影響が色濃いアルバムを象徴する曲で、アルジェリアのライを代表する歌手cheb khaledのボーカルが大々的にフィーチャーされていることもあり、彼等のヒット曲とはかなり趣が異なる。

個人的にも最初はピンとこなかったのだが、そのcheb khaledの中毒性の高いボーカルに、ファンキーなベースと情熱的なギター、そして雰囲気たっぷりのブラスが加わり、それらが渾然一体となって尋常でない高揚感をもたらすこの曲に心奪われないほうがおかしいわけで、自然と身体が求めるままにリピートし、結局this is your lifeやdigging your sceneといった彼等の代表曲に負けず劣らす好きな曲になってしまった。

それゆえにアルバムspringtime for the worldを処分してしまった後も、be not afraidやin too deepが無性に聴きたくなることがあり、中古盤に手を出しかけたことも一度ではなかった。

それが現在こうしてiTunesでdevil's tavernからの流れで聴くことが出来るのは、2008年にリリースされたdigging your scene the best of the blow monkeysなるベスト盤のおかげである。


このベスト盤は非常に優れていて、2枚組のヴォリュームにも関わらず1000円ちょっとの低価格。意図されたものかビジネス上の理由か定かではないが、ベスト盤としての基準をクリアしつつ、しかしひとあじ違う選曲のセンスについても申し分ない。

いずれも廃盤状態にある4thアルバムwhoops!there goes the neighbourhodから5曲、そしてspringtime for the worldからは何と10曲(fruits of the earth/checking out以外全曲、ベスト盤のchecking outは3rd収録のオリジナル・バージョン)も選曲されているのだから、特に初期3作品がリマスター紙ジャケ仕様で発売済みの日本においては、あとはこのベストがあればほぼ事足りる。whoops there goes the neighbourhoodからもう少し選曲されれば良かったが、欲を言えばキリが無い。



この2枚組のベスト盤は、music club deluxeというレーベルのいわゆる廉価ベスト盤シリーズのひとつ。

6月8日にはそのmusic club deluxeからjimmy somervilleのベスト、small town boy:the best of jimmy somerville, bronkski beat & the communardsがリリースされる。

もちろん2枚組で、bronski beatからthe communardsを経てソロまで、全キャリアを網羅し、さらに5月19日にデジタル配信のみでリリースされた最新作suddenly last summerからもpeople are strangeが収録される。

最新作suddenly last summerは、アコースティック主体のジャジーでスタンダードなボーカル・アルバム。これまでの彼のエレクトリックでダンサブルな路線とは異なり意外な感じもするが、かえって彼の歌声の美しさと非凡な存在感を堪能できる内容になっている。


それゆえに、彼の美しい歌声を再認識した後に、そのキャリアを振り返ることができるという意味において、今回のベスト盤はいつもながらのヴォリュームと低価格に加えて、偶然とはいえタイミングまでも絶妙であり、まさに完璧なベスト盤と言ってもよさそうである。



posted by atons at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 80年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

リイシューのお手本

リイシュー盤へのボーナス・トラックの収録について否定的な意見を時々見かける。

オリジナルのコンセプトや、アルバムとしてのまとまりが損なわれるというのが主な理由のようだが、その理由がどうしてもピンと来ない。


morrisseyのsouthpaw grammarやmaladjustedのように、ボーナストラックが既存の収録曲に紛れ、しかも曲順も大きく変更されている場合には、確かにオリジナルのコンセプトやバランスが損なわれるという意見も当てはまるかもしれないが、一般的にボーナストラックはアルバムの最後にまとまっているものである。

レコード時代ならまだしも、CDならば自分の匙加減でいくらでも曲数を制限できるわけだし、オリジナルの最後の曲になったらリモコンのボタンを押せばいい話である。一度CDを再生したら何があっても最後まで聴かなければ気が済まないという特異体質でもない限り、ほとんどファンのことなど眼中にないレコード会社が、珍しくボーナス・トラックを追加収録してくれるというのを、敢えてケチをつけることもないように思うのだが...。



そんなボーナストラック否定派にとっては、例えばthompson twinsのhere's to future daysのリイシュー盤などは、ほとんど許しがたい暴挙としか思えないのかもしれない。

リミックス・ヴァージョンがこれでもかと詰め込まれた2枚組。店頭に並ぶ寸前に発売中止となったいわくつきのroll overが3バージョン収録されているのをはじめとして、12インチシングルに胸をときめかせたあの80年代の空気まで一緒に閉じ込めてしまったと言っても過言ではないほどのヴォリュームである。


thompson twinsについては、シングルまでフォローしていたわけではないので、もしかしたら熱心なファンからすれば他にも収録して欲しい曲が残っているのかもしれないが、とりあえずここまでやってくれればこだわりのファンも文句をつけるのが躊躇われるに違いない。

僕のようなボーナストラック肯定派ならぬ大歓迎派にとっては、これこそ全てのレコード会社が見習うべき、リイシュー盤の鏡なのである。


色々な嗜好があることは承知のうえで言わせてもらえば、リイシューの度に出し惜しみを繰り返すか、もしくはただ紙のジャケットに入れ替えただけでおしまいという安易なやり口と比べても、リイシューの際にボーナストラックを収録するのは、むしろ自然な傾向だと思う。

また、少ない小遣いをやりくりしつつレコードを買い、または買えずに友人からダビングしてもらいながらアーティストをサポートしていた当時中高生だった世代の熱く健気な思いを、しっかりと還元するという意味においても、こういった作業は十分価値があることだと思う。
posted by atons at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする