2009年06月30日

レコード会社のために

すでに発売された国では非常に高いリアクションを得ているa-haのニュー・アルバムfoot of the mountain。今のところ日本盤発売の見込みも無く、頼りは7月20日に発売されるUK盤なのだが、これがまた輸入盤にしては何故か価格が高めに設定されている。

後に日本盤が発売されることも、UK盤が値下がりすることも十分あり得るだろうから、現在の入手困難な状況についてはさほど気にすることもないのかもしれないが、それにしてもa-haをしてこの扱いというのがどうも気に入らない。

当然、80年代ほど日本で売れるわけもないのだが、それでもあのtake on meのa-haである。レコード会社にしても、80年代のコンピレーション等でかなりお世話になっているのだから、そのa-haが久し振りにしかも内容充実の新作をリリースするというのに、知らん振りというのではあまりに失礼である。

「金になる80年代コンピレーションしか興味ありません」と自らの芸術とは縁遠い過度な商業主義を公言して憚らない、開き直りを通り越した潔さは見上げたものだが、80年代ブームに乗り続けtake on meで小銭を稼ぐ一方で、a-haの新作を平気な顔で無視してしまうのはさすがに露骨すぎはしまいか。


レコード会社が金にならない話に冷淡なことも、売れるかどうかという基準によらず、曲そのものの魅力にほれ込み、なんとしてもこの曲を売りたいなんていう情熱や、そもそも音楽に対する愛情が音楽業界においてはすでに幻想であることも周知の事実。今さら失礼の露骨のといった批判をするだけ時間の無駄である。過去のヒットアルバムを紙のジャケットにせっせと入れ替える様子を黙って見ているのにも大分慣れてきたところである。


だから決してその姿勢を批判するのではない。むしろ露骨過ぎる点を心配していると言ったほうが正しい。あまりに露骨な金儲け主義ばかりではビジネスにも支障をきたしかねないと思うのだ。

時には、「売り上げは見込めないものの、いい内容だから日本盤を発売して、出来るだけ多くの人達に聞いてもらうのも音楽を扱う者の使命ですから」的な殊勝な姿勢で、普段の金満体質を取り繕うことも必要であるし、さらに言えばそのアピールがまた金を生むだろう。


まだ根強いファンが存在するa-haの新作であれば、そのアピールの効果もさらに期待できるため、foot of the mountainの日本盤をリリースすることはレコード会社のイメージアップにはまさにおあつらえ向き、これはしたほうがいいどころかしなきゃ損である。

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2009年06月27日

才媛

ミュージック・マガジンの最新号で菅野よう子の特集記事を読んだ。

彼女の作品を全てフォローしているわけではなく、その素性についてもほとんど知らなかったため特にインタビューが興味深く、そこで語られるいかにも天才肌なエピソードには大いに納得させられた。

現在の日本の音楽シーンにおいて、彼女ほどクオリティの高い作品を生み出せる才能はちょっと見当たらない。


go tightは特に大好きな曲で、ここ数年の日本においては最高の曲だと思う。ドラムンベースをバンドで再現したかのようなアグレッシヴかつプログレッシヴなリズム、ビシビシ決まるギターリフ、壮大で流麗なストリングス、極度にセンス良く配されたエレクトリックなテイスト...、よくもまぁこれだけの要素をポップにグルーヴィーにまとめあげるものだと、何度聴いても関心し興奮し感動させられる。

ポップでいいメロディを書く人はそれなりにいるとしても、サウンドやアレンジを含めたトータルで、ここまでの完成度に到達している人はそういないだろう。ほとんどは「せっかくいいメロディなのにサウンドがどうしようもなく安っぽくて、長く聴けそうにない」、または「サウンドの完成度はなるほど高いようだが、どうも小難し過ぎる」のいずれかに分類され、ポップな要素とサウンド面のクオリティを見事に両立させるのはなかなか難しいようである。

菅野よう子の場合、その難しいところをクリアしたうえで、しかし決して頭でっかちにならず、例えばロックバンド的なダイナミックで有機的なグルーヴまで備えているのだからさらに凄い(インタビューで語られていた、大学入学後にロックバンドの演奏から受けたという衝撃の大きさが、きっとそのまま影響しているに違いない)。


そもそもクラシックの才能に秀でていながら、ここまでグルーヴィーでポップな曲を作れるということ自体、凡人からすれば信じがたいことである。

最初に菅野よう子の名前を意識したのが、アニメの「ターンAガンダム」のサントラにおいてだったので、後に兄を通じて攻殻機動隊のサントラやgo tightを知った時の衝撃は相当なものだった。


当時、「ターンAガンダム」はその衝撃的な造詣も災いしてか、周囲でもことごとく評判が悪かった。そんな中にあって、僕が毎週欠かさず見続けたのは、顔はともかくターンAの動く姿はカッコよかったし、絵もきれいで、物語のトーンも落ち着いていて非常に心地よかったからであり、さらに次回予告で流れる「軍靴の記憶」によるところも大きかった。「軍靴の記憶」の郷愁を誘うメロディがまるで一陣の風に吹かれた後のような清々しい余韻を残し、来週もまた見ようと思わずにいられなかったのである。

ガンダム関連の曲でどれかひとつを挙げるとすれば、「飛べ!ガンダム」でも「哀戦士」でも無論最近のJ-POPでもなく、この「軍靴の記憶」を置いてほかにないと思っている。

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2009年06月26日

今は静かに

全曲を聴いたこともなければ、ライブを観たこともない分際でファンを名乗るのは申し訳ない気がしつつも、しかし好きな気持に嘘はつけず、ついファンを名乗らせてもらう場合がある。

愛し方も人それぞれ、曲単位かアルバム単位で好きというのも好きであることには変わりない。その点は、全曲を熟知しライブへも欠かさず参加し、毎日のようにそのアーティストの曲を聴かずにいられない熱狂的な大ファンの方には、是非とも大目に見ていただきたい。

無論、大ファンの方たちに対して失礼にあたらない範囲においてファンを名乗ることもわきまえている。

例えば、そのアーティストが亡くなった際も、本当のファンの悲しみを邪魔してはいけないと思っている。




おそらく彼を愛し続けたファンは、これ以上ないほどの喪失感に襲われ、話す言葉も見つからず、大好きな曲さえまともに聴くことが出来ないでいるだろう。

その辛さがどれほどのものか、自分の大切なアーティストに置き換えてみれば痛いほどよく分かる。心のないありきたりの言葉や、悲しむ間もないほどに早々の追悼特集など、ただ騒々しく、かえって辛いだけに違いない。


だから、そんなファンの人たちが涙ながらでもやっと大好きな曲を聴けるようになり、何か語りだすことができるようになるのを待ちながら、今は静かに心の中で追悼のメッセージを送ろうと思う。ファンのひとりとして。
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2009年06月25日

hard-fi will be back...

hard-fiの新作レコーディングの様子を収めたポッドキャストの中で、新しい音源が公開されている。

http://www.youtube.com/watch?v=Q0acbHUBQBs

ポッドキャストのタイトルが“THE SWEAT FILES”で、歌詞にもsweatが登場するので、曲のタイトルもその辺だと思われる。


エレクトリックなビートを基調に、間奏ではダイナミックに展開し、hard-fi印の哀愁のメロディカまで鳴り出す、まさにhard-fiといった感じの曲と言ってしまえば確かにそうかもしれないのだが、無論決して1stや2ndをそのまま踏襲したものではない。

we need loveを軸にした2ndのサウンドに、1stアルバム級のメロディが乗っているような、ありがちに表現すれば1stと2ndの要素を実に巧みにまとめあげたとか、または、2ndの理想的な発展型などと言えるかもしれない。


リリース時こそよく聴いた2ndアルバムだったが、やはりあの驚異の完成度を誇った1stと比較すると練りが足りないようにも感じられ、その粗さを仰々しいストリングスで取り繕ったというような印象もぬぐえず、最近ではwe need loveとthe king以外めったに聴くこともなかった。

そんな僕にとって、we need loveを思わせるエレクトリックなグルーヴとキャッチーなメロディも秀逸なこの曲はおあつらえ向きでもあるし、実際数回聴いただけでも、メロディにしても構成にしても非常に完成度の高い曲だということが分かる。


たった1曲、しかもまだデモ段階のものを聴いただけで、アルバムにまで大きな期待を寄せるのはいくらファンとしても性急に過ぎる気がしないでもないが、少なくとも2ndアルバムからの1stシングルsuburban knightsを初めて聞いた時よりも断然興奮させられたことは間違いなく、そうなると必然的に3rdアルバムも素晴らしい内容にならなければならないのである。



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2009年06月19日

sweet and tender hooligan

「ダニエル・メリウェザー、ザ・スミスをカヴァーしてファンから脅迫」2009-06-18 BARKS
http://www.barks.jp/news/?id=1000050358

「マーク・ロンソンのソロ・アルバム『Version』(2007年)でザ・スミスの『Stop Me If You Think You've Heard This One Before』をカヴァーしたダニエル・メリウェザーは、熱狂的なザ・スミス・ファンから脅迫を受けたそうだ。シングル・カットされた同トラック(タイトルは「Stop Me」に短縮)は、UKチャートの2位(UKダウンロード・チャートでは1位)に輝くなど大ヒットしたが、ザ・スミス・ファンからのウケはあまりよくなかった。

メリウェザーはザ・スミスの大ファンというわけではなく、同トラックのこともよく知らなかったそうだ。YahooミュージックUKによると、彼はこう話している。『べつにスミスの大ファンじゃなかった。だから、スミスのトラックをカヴァーするのがどれだけ危険なことなのかわかってなかったんだ』
『マークは、自分の好きな曲を友人に歌わせてアルバムを作ろうとしてた。で、“これ歌いたくない?”って訊かれたんだ。いいよって答えて、いいものが出来た。そしたら殺すって脅迫を受けたんだ』
『正真正銘のスミス・ファンの流儀で、必ずインターネットなんだ。面と向かってじゃない。“刺してやる”とか“苦しめてやる”とかさ。まあ、仕方ないね。聖地なんだから。僕が唯一気になってたのは、モリッシーが嫌がったかどうかってことだ。でも彼は気に入ったって言ってるから』」



daniel merriweatherはひとつ大きな勘違いをしている。

決してthe smithsをカバーしたから脅迫されたわけではない。確かにカバーしたことが原因には違いないが、the smithsをカバーしたアーティストなどいくらでもいる。the smiths以降の特にインディーズ系のアーティストにとっては、それこそthe beatlesをカバーするような感覚に違いない。いくら熱狂的なファンでもそのたびにいちいち噛み付いてもいられない。


では、なぜこんなことになったのかといえば、それはカバーしたからではなく、カバーの内容が拙かったからと考えるのが自然ではないだろうか。

実際、僕もリリース直後にiTunes storeで購入して聴いてみたが、その腰の据わらない感じのヘロヘロな歌声にどうしても馴染めず、結局削除してしまうほどだった。ヒットしたのも、原曲のブラスアレンジからヒントを得たと思われるダンサブルなアレンジやsupremesのyou keep me hangin' onを織り込むセンス、つまりmark ronsonの手腕によるところが大きかったように思う。


このカバーについてはリリース当時、arctic monkeysのメンバーからも非難の声が上がり、それに対してmark ronsonも「morrisseyとjohnny marrには音源を送り、了解も得ている」と譲らなかったのだが、それもわざわざ音源を送ってきた相手への社交辞令としての「どうぞご自由に」程度のリアクションだったのではないか。


また、(mark ronsonからの要請だったとはいえ)そもそも好きでもない曲を歌うこと自体に問題がある。まずその曲を歌いたいという気持が無ければ、カバーなんて上手くいくはずがない。

しかもthe smithsの作品となると、そういった気持はより反映されやすく、ファンもそこを敏感に感じ取り、結果として気持の入っていないカバーに腹を立てたのだと思う。

そして、その中の暇を持て余した性質の悪いごく一部のファンが脅迫などというくだらないことをしたというのが事の真相に違いない。

無論、そんな輩はファンと呼ぶべきではないし、本当のsweet and tender hooliganとは、例えば一度購入したその曲を削除することで、静かに意思表示をしたりするものなのである。
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2009年06月18日

音楽の要らない話

ドラマ「アイシテル〜海容〜」が最終回を迎えた。

最後までそれぞれの登場人物の心に寄り添うように丹念に描ききったところに非常に好感が持てた。最近は著名な脚本家のドラマを見ても、最後まで見たことを後悔したくなる作品ばかりだったが、久し振りに見てよかったと思えるドラマだった。


サブタイトルに「海容」とあるように、「許し」が大きなテーマになっている。

基本的に加害者の母親の視点から描かれるために、当初「許し」のテーマからすると違和感もあったのだが、あえて加害者と被害者それぞれの母親を交互に描くことで、わが子を思う母親としての苦悩と葛藤が同化し、最も憎しみと悲しみが深くてしかるべき被害者の母親が、家族の中で最初に「許し」の感情に至るという流れを、非常に真実味のあるものにしている。

無論、被害者の母親が完全に許しの心境に至ったわけではないことは、加害者の母親との対面シーンからも明らかなのだが、悲しみと憎しみの中にありながらも、それでも加害者に「生きてほしい」と言わずにいられない彼女の姿はそのまま、悲しみや憎しみの中にあってさえ、「もしかしたら人は許すことができるかもしれない」という可能性を提示している。

悲しみにくれ続けるか、加害者を憎み続けるか、それとも忘れてしまうか、そんな選択肢しかないような状況においてさえ、「許し」の感情が生まれ得ることを、この被害者の母親は身を持って示しているのだ。


そして、その姿と「生きてほしい」という言葉は、加害者の母親にとって、命をもって償うとか刑に服するということ、また例えば「罪の重さに苛まれながら生きることこそ罰となる」などという意味を超えて、「生きて償う」さらに言えば「生きてこそ真に償いうる」ということをも問いかけているのだと思う。


これは、あくまでもひとつのケースであり、しかも加害者も被害者もまだ年端も行かない子供。わが子を思う母親の視点があればこその特殊な例と言えなくもない。現実には、被害者は決してそう簡単に許すこともできなければ、加害者も真に受けとめればこそ罪の重さに押しつぶされるに違いないとも思う。

しかし、特殊な例のフィクションではあるものの、その中に「許し得る可能性」と「生きて償うことの意味」があったことは確かな手ごたえとして残っている。

だからこそ、果たして絶対に許せないことなどあるのか、また一度過ちを犯したら一生うつむいて生きていく以外の生き方はないのか、そんな問いかけをせずにはいられないのである。

示唆に富み、またそれ以上に人間の本質的な優しさに溢れた素晴らしいドラマだったと思う。


だから余計に残念だったのは、エンディング曲が流れた途端、そんな思いがそがれてしまったことである。楽曲云々以前に、少々違和感のある日本語がどうしてもこのドラマの実直なトーンとは相容れないような気がしてならなかった。そもそもこれほどのドラマには、テーマ曲も必要なかっただろうと思う。

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2009年06月17日

medley:pet shop boys“brits”

pet shop boysのdid you see me coming?のシングルがiTunes storeで購入可能になり、そのカップリングとしてやっとブリット・アワーズでのメドレーを購入することが出来た。

そのmedley:pet shop boys“brits”は、彼等の代表曲と最新アルバムyesからの2曲(love etc.とall over the world)を約10分のメドレーにしたもので、今年の2月、ブリット・アワーズで功労賞を受賞した際に披露されている。正確に言えば、それのもとになった音源であり、stuart priceがプロデュースを担当している。

したがって、残念ながら当日ゲストとして加わったlady gagaとthe killersのbrandon flowersの歌声を聴くことは出来ないのだが、それでもあの素晴らしいステージの興奮を手軽に追体験できるには違いない。


当初このmedleyは、iTunes storeでのアルバム予約特典だったために、CDでアルバムを購入した僕にとっては非常に悩ましい存在だったのだが、そのときの淡い期待が叶い、こうやってシングルのカップリングとして(アルバム単位での購入しかできないために、did you see me coming?と一緒に300円で購入しなければならないのは余計だが)入手することが出来たのは有難い。

その一方で、予約特典さえも後に何らかの形で入手すること出来るとなれば、いよいよ初回限定盤だボーナストラックだと踊らされることが、いくら音楽が好きだからとはいえ、いかにも馬鹿らしいような気がしてくる。

アーティストやレコード会社もあまり商売っ気を出さずに、素直にリリースしてくれればいいと思う。


これでthis used to be the futureがシングルカットされるとなると、また通常盤か初回限定盤かで頭を悩ませたことが馬鹿らしく思えてくるわけだが、this used to be the futureがシングルとして陽の目を見るのであれば、いくら馬鹿でも構わないという気持ももちろんあり...、やっぱりまだ踊らされていたいのだとも思う。

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2009年06月16日

johnny marrのお墨付き

morrissey-soloに、johnny marrがmojo classic song writer awardを受賞した際のインタビューの一節が掲載されている。

例によってmorrisseyと一緒にステージに立つ可能性について聞かれ、例によってやれやれという感じで否定しているだけなので、特に珍しくも有難くも無い。すでにmorrisseyとmarrにとっても、時候の挨拶程度のやりとりになっているに違いない。

そんなことよりよほど重要なmarrのコメントを、ネタ元のBBCのインタビュー記事で発見。もちろん、自身のベスト・ソングとしてelectronicのget the messageを挙げている行である。

Talking Shop: Johnny Marr
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/8097896.stm

What's the best song you've written?

The best song I've written is Get The Message by Electronic, with Bernard Sumner. It's great because I have no idea how it happened - I can remember starting with a bassline.

Ten minutes later the backing track was done, and then this person who I find interesting and unfathomable came in and wrote these words which were interesting and unfathomable with an amazing atmosphere. It seemed like it belonged to somebody else.

What was great about that song was that it didn't sound like The Smiths, and it didn't sound like New Order. That was why I thought we'd done something really unique.

There are also some songs I've just written with The Cribs. One's called City of Bugs - that is, right now, a song I think is equal to Get The Message.


もしかしたらこれまでも彼が自身のベストソングとしてget the messageを挙げたことがあるのかもしれないが、少なくとも僕にとっては初めてのこと。get the messageに言及した記事さえ見かけたことがない。


僕はとにかくこのget the messageが大好きで、それこそリリースされた'91年から18年間ずっと聴き続けているといっても過言ではないほど、嘘偽り無くコンスタントに聴き続けている。

しかし、そもそも日本の音楽雑誌等ではelectronic自体それほどいい評価を受けていなかったという状況で、特にget the messageが取り上げられるようなこともなく、その極上のグルーヴに身を委ねつつも、常に「何故こんな素晴らしい曲を無視するのか」という不満もあったし、一方では、つまり自分の感覚にしっくりくるというだけのことで客観的にはそれほど優れた曲ではないということなのかもしれないと弱気にもなれば、自分の耳に不安も感じずにはいられなかった。


その後、robbie williamsがiTunesのセレブリティ・プレイリストにおいて、90年代のベスト・ソングにこのget the messageを挙げているのを知り、初めてそして非常に心強い味方を得て、そこでやっと自分の耳は間違っていなかったんだと安心できたのである。


だから、今回marrが自身のベスト・ソングとしてget the messageを挙げたことで、おかしな話ではあるが、本人からついにお墨付きをもらったような感じがして、とても嬉しい。robbie willaimsとこの喜びを分かち合いたいし、marrにも18年間の思いの丈を、迷惑でも聞いてもらいたい。嬉しさのあまりそんな妄想も止まらない。




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2009年06月13日

a prisoner of the past

jarvis cockerが「俺たちは、再現や懐古がライフ・スタイルの選択肢にある時代に生きている。俺にもその傾向はある。YouTubeで、子供のとき以来見てないシーンを探したりしてるよ。」と言っていたが、「再現や懐古がライフ・スタイルの選択肢にある時代」という表現には大きく頷かざるを得ない。人類の歴史上において、過去を振り返ることがこれほどまでに生活の一部として溶け込んだことはないだろう。

せっかくインターネットという文明の利器を手にしたのに、過去を振り返ってばかりというのは何とも皮肉めいているが、とにかく現代人が過去に囚われがちであるのは厳然たる事実に違いない。


それゆえに懐古主義にも陥りやすく、実際にその弊害も出始めている。

you tubeで過去の映像を探すのに夢中になるあまり、そのアーティストの現在についての関心が非常に薄いとか、紙ジャケ・ブームなどはその際たるもの。
また、you tubeを含めインターネットにより様々な形態の情報収集が容易になったために、当時を知らない若い世代も気の赴くままに過去を遡り、まさに見てきたかのように「古きよき時代」などと口にし、その詳細な記憶や語り口から同年代かと思えば、自分より10も15も年下で驚くことも、弊害とまでは言えないものの決して正常とも言えない。


もちろん僕も例外ではないし、当時さえ知りえなかった情報まで入手できるという点については非常に有難いし、それが温故知新の言葉どおりに新しい発見となる可能性も多分にあるのだから否定するつもりはない。

ただ、現在がおろそかになるほどに過去に囚われることは出来れば避けるべきだと思う。

音楽に留まらず過去を振り返れば、「昔は良かった」と言いたくなるものだし、どうしても先人のほうが偉いように思えてくるもの。例えば音楽なんて限られた表現方法であり図らずも先人の作品に似てしまうのは避けがたい面もあるのだが、先人たちについての膨大な情報を得て頭でっかちになると、すぐにパクッたの何のと粗探しが始まるのだから、どうしても後進は分が悪くならざるを得ない。当人達がいくら嘘偽りのないところを表現したのだと言い張っても、「○○みたい、これなら○○を聴いていたほうがいい」などと取りつく島がないということもある。これでは新しい才能との出会いの機会を自ら潰すようなものである。

再現も懐古もあくまでも選択肢のひとつ、当然そこには現在という選択肢があることを忘れないようにしたい。



prefab sproutにa prisoner of the pastという曲がある。ウォール・オブ・サウンドなアレンジが、タイトルのままというよりはむしろ逆説的にシニカルに響くことでかえって物悲しさも美しさも増す、実にprefab sproutらしい仕掛けが施された名曲であると思う。

a prisoner of the pastという詩を自嘲気味に、しかしことさらスウィートにウォール・オブ・サウンドで表現するような感覚で、現在と過去を軽やかに巧みに行き来したいものである。

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2009年06月12日

7月説

rogerの希望的観測どおりにいけば、アメリカでのライブ初日7月5日以降、遅くともduran duranがヘッドライナーを務めるloveboxの7月18日までには、duran duranの新曲が聴けるはずである。

大体夏頃だろうとぼんやり考えて、のん気に構えていたが、気がつけばあと1ヶ月ほど。レコーディングも順調、mark ronsonの「最高傑作」宣言まで飛び出したことからすれば、今回ばかりはすんなり運びそうな気がする。

しかも、オフィシャルで公開されているloveboxのプログラムもwild boys及びarenaを彷彿とさせる力の入ったインパクトのあるデザインで、当然ヘッドライナーとしての責任とプライドにかけても、そこで新曲を発表するのはもちろん、例えばスペシャルゲストとしてmark ronsonが登場するなどという仕掛けがあってしかるべきだろう。

そんなわけで、7月に新曲発表の線はむしろ非常に濃厚のようである。


そうなると7月以降、新しい音源がネットを通じて続々と公開されることになるわけだが、ここでちょっと肝に銘じておかなければならないのは、duran duranの新作が聴ける喜びと興奮のままに、新しい音源を漁りすぎないようにするということ。

red carpet massacreの時は、4、5曲ほど聴いてしまった時点で「これはまずい」と気がつき、そこから1ヶ月ほどred carpet massacre断ちをしなければならなかった。できるだけ早く新しい音源に触れたいのは山々なのだが、それによってアルバムを実際に手にした時の感動が薄れてしまうのが口惜しい。

音楽雑誌がほとんど唯一の情報源だった頃、発売前に聴けるのも先行シングル曲くらいのもので、それこそ曲やアルバムのタイトルだけで十分興奮し、待つことさえ楽しんだ挙句、ついにアルバムを手にして初めて聴いた時のあの感動を再度味わってみたいのである。


とはいえ今の時代、しかもduran duranの新しい音源を1曲のみで我慢できる自信は全くない。少なくとも2、3曲は聴いてしまいそうで、さすがに80年代当時のあの感動を再びというのは無理があるのかもしれないが、今回のduran duranの新作ならばその辺を補って余りあるほどに「最高傑作」に違いなく、きっと半分くらいは聴いても大丈夫じゃないだろうか...。

生来の優柔不断と我慢下手に加え、相手がduran duranとあっては、こんな情けないオチも仕方ない...。

posted by atons at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | duran duran | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする