2010年05月31日

革命はいらない

日曜日の夜というのはいつまで経っても寂しくやるせない。日曜日は早ければ昼過ぎから、遅くても夕食後にはすでに月曜日に吸収されていて、夜は決して日曜日の終わりではなく1週間の始まりである。

しかし、子供の頃からそんな日曜日の夜を過ごしてきたというのにいまだに割り切れない。明日からに備える覚悟もできず、まして残り少ない休日を有効に使うほどには開き直れず、つい漫然とテレビを見たりしてやり過ごしかちなので、いい大人になってもやっぱり寂しくやるせないままだ。


せめてそんなタイミングを見計らって面白い番組でも放送してくれればいいのだが、何故か平日の番組に輪をかけてつまらない番組が並ぶ。何よりも僕の住む地方の日本テレビ系列局がダウンタウンの「ガキ使」を、日曜日の正規の時間帯に放送してくれないことが致命的だ。一時的に正規の放送時間になったものの、またすぐ自社製作の見ても見なくてもどうでもいい番組に戻ってしまった。

見ても見なくてもどうでもいい番組なら、日曜日の夜に都合がいいような感じもするのだが、かろうじて明日への活力となる笑いを提供してくれる番組を退けてまで日曜日らしくボンヤリ眺めるための番組を放送するというのもどうかと思う。

それに、ナレーションが入る以外は60年代から70年代あたりにかけてのロック/ポップスが始終鳴りっぱなしで、こじゃれたようなしかし実に安易な番組の構成が癪に障るようになると当たり障りがないどころかかえって気が滅入りさえする。もし「ガキ使」が放送されている地域と比べて、この地域だけ著しくブルー・マンデーを意識している人が多いとしたら、それはこの番組のせいだと思う。



そんなわけで、昨晩からTBSで始まった「革命テレビ」には期待せずにはいられなかったのだが、蓋を開けてみれば、出オチの元横綱とカブトガニの大量発生しか印象に残らず、あとはUSTREAMの不安定さが拍車をかける生放送ならではグダグダ感だけという惨憺たる内容だった。USTREAMにTwitterにiPadまで持ち出したものの、いずれもそれを用いるべき必然性のかけらも感じられず、まるで「ジャパネットたかた」のテレビショッピングを見ているようだった。


残念ながらUSTREAMやiPadで一体どんな革命を起こしたいのかについては、昨晩の放送からはさっぱり伝わってこなかった。そもそも日曜日の夜に革命は要らない。明日が月曜日であることを一瞬でも忘れさせてくれるだけでいい。それこそが本当の日曜夜の革命である。

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2010年05月30日

勤勉実直

バンド解散後、その中心メンバーが新しいバンドを始動させたりすると、いくら再結成込みの解散が主流とはいえ、普通は「本当に終わったんだ」などとしんみりとした気持ちになるものだが、oasisのliamの新バンドがあっという間に軌道に乗り、beady eyeというバンド名まであっさり決まってしまっても、そういう気持ちにならないのは、oasisから続く相変わらずの勤勉実直ぶりのほうに気がそがれるからである。


兄弟ゲンカも絶えずいつ突然の解散が訪れてもおかしくなかったはずのバンドが気がついたら19年。the smiths/the stone rosesとはもはや比べるまでもなく、この手のバンドとしては奇跡的に長続きしたといえるし、その間7枚のオリジナル・アルバムが長くても3年に1枚のペースでコンスタントにリリースされているという事実を鑑みた時、やさぐれたロック・バンドのイメージとは恐ろしくかけ離れた、実に勤勉実直な姿勢というかムードが浮かび上がる。


解散の原因が兄弟ゲンカだった点も、いかにもoasisらしいそのイメージに忠実な幕引きのための演出のように受け止められなくもないし、その一方で、oasisほどの大きなバンドになるとあらゆる大人の事情もありそう簡単にやめるわけにはいかない状況にあって、「そろそろ次の大きなケンカをきっかけに...」などとタイミングをうかがっていたとすれば、やっぱりで今さらな兄弟ゲンカを利用しつつ、周囲にあまり迷惑がかからないように配慮したうえで、巧みにして律儀なバンドの幕引きを図ったと穿ってみることもできる。


もうすぐ発売になるベスト盤にしても、noelが曲順にまでこだわり解説まで加え、そのうえラスト・ライブの音源にPV集までつくというのだから、レコード会社主導のもったいぶった内容にならざるを得ないはずの解散直後のベスト盤としては、まさに異例の律儀さである。



そして、noelの次のアクションも近いうちに明らかになり、beady eyeのアルバムも予想以上に早く届けられ、それからそう遠くない、しかるべきタイミングに勤勉実直なロック・バンドoasisは、きっと律儀に再結成を果たすことになるだろう。

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2010年05月29日

リバウンド

5月18日に行われた“saphire now”というイヴェントでのパフォーマンス。

duran duran @ saphire now:nite-runner
http://www.youtube.com/watch?v=dItq0jGvYH8


改めてnite-runnerはカッコいい曲だと思う。打ち込みでギターが控えめであるという点にとらわれなければ、この曲のグルーヴは紛れも無くduran duranのそれであるとわかる。すっかり演奏もこなれた感じのする、このライブ・ヴァージョンもそれを証明していると思う。

そして、nite-runnerかskin diversをシングルカットすべきだったのにという口惜しさ、その後の苦々しさもまた自然に思い出された...。



2年半前のことを愚痴っても仕方ない。mark ronsonプロデュースによる新作のレコーディングも佳境に入っている。レコーディングの進捗状況を伝えるバロメーターであるsimonの体型を見れば...?

...念のために確認しておくと、mark ronsonのステージでthe chauffeurを客演したのが4月21日、この映像は5月18日。1ヶ月分、新作の完成に近づいた分、当然simonの脂肪も多少なりとも減少していなければならない。


それなのに、ここで歌っているのは何故かダイエットに成功した渡辺徹。

「なんでやねん」という似非関西弁が聞こえてきそうだし、夜中に郁恵ちゃんの目を盗んで冷蔵庫の残り物をご飯に乗っけてマヨネーズをかけて食べたり、仕事の間にフルーツ牛乳をチュウチュウ吸っていなければならないように思えてくる。そういえば渡辺徹にも「約束」という持ち歌がある...。



これが果たして絵に描いたようなリバウンドなのか、レコーディングが過酷を極めているための意図的な栄養補給によるものなのか。それとも4月21日の姿が多少すっきりして見えたのはもしかしたら早く新作が聴きたいファン心理による錯覚だったのか。

しかし、再度その映像を見ても5月18日よりはどうしてもシュッとしているように見える。4月21日のステージのほうが暗くて巧い具合に痩せて見えるとか、5月18日の映像は下からのアングルがふくよかさを余計に煽るとか髪型のせいだとか、その原因を考えみることはできるが、いずれにしてもsimonが5月18日の時点では、せいぜいダイエットに成功した渡辺徹のようにしか見えないのは紛れも無い事実である。


これにより、6月から7月に終了するといわれているレコーディングは早くて7月、今年後半から来年の早い時期に予定されているリリースも、年内の可能性はほぼ無くなったと見て間違いないだろう。


もちろん、simonが諦めるか開き直るかして、もう彦磨呂でも渡辺徹でも一向に構わないというならその限りではない。

しかしそうなると、我々がレコーディングの進捗状況を探る術も失われてしまうわけで、やはり諦めず開き直らず、彦磨呂でもなく渡辺徹でもなく、あくまでもsimon le bonを目指してもらわなければ困る。


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2010年05月28日

ニキビな歌

jamiroquaiのvirtual insanityのPVが唐突に流れたので不思議に思ってテレビ画面に注目したら、日本語の歌詞が聞こえてきて驚き、カップヌードルのCMということが判明して納得した。しかし納得はしたものの、驚きと感心が混じったような「へぇ〜」が自然と口をつき後を引いた。

MISIAのeverythingがPVごと用いられたCMがシリーズとして企画されているという話を聞いた覚えはあったものの、端からそれは日本のアーティストに限られるだろうと決めつけていたので、まさかのjamiroquaiという感じで余計にインパクトも大きかった。


昨晩のCDジャーナルからのメールマガジンにも早速このCMについての情報が掲載されていた。

「ジャミロクワイが「腹へった♪」と日本語で歌う日清カップヌードルのCM曲は?」2010/05/27 CDJournal
http://www.cdjournal.com/main/research/jamiroquai/3145

今回もMISIAと同様に、本人によって「腹へった、カップヌードル5つ食べられるぐらい〜」「ほかのじゃいやよ〜、カップヌードルがいいよ〜」と歌われていて、それに合わせて映像のほうも口元の動きについてCG加工が施してあるとのこと。

単純に替え歌と思えばアイディアとしては実にシンプルなのだが、いい音楽にいい映像そして意外性もあって、まさに瞬時に視聴者の耳目を引きつけなければならないCMとしては非常に良くできていると思う。



それに比べて、ここ最近耐え難いのがニキビケア用品の通販CM。しつこいニキビにはしつこいCMソングと言わんばかりに、キャンキャンした声で延々と繰り返されるあの歌が耳障りで仕方ない。このCMが始まったらすぐにテレビを消すかチャンネルを変えるようにはしているのだが、ついテレビをつけたまま他のことに気を取られているうちに、いつの間にかまたニキビにまつわる体験談が始まりニキビの歌が流れてくるから油断も隙もあったもんじゃない。

恐ろしく頻繁にCMが流れるために、「ニキビケア用品売り上げNO.1」であることをこのCMを毛嫌いしている僕でさえ知っているほどに商品名も浸透しているはずなのに、それでもまだ同じ歌で同じ内容のCMを流す必死さもいまいひとつ理解できない。そろそろ、素敵なBGMにきれいなモデルが洗顔しているというようなイメージの、いかにもなあっさりしたCMに移行してもいいように思う。

ニキビケア用品ばかりでなく、そのほかにも通販CMで聞こえてくる歌にはひどいものが多いし、歌にとどまらず大げさなノリに胡散臭い体験談など、特にサプリメントなどの栄養補助食品の通販CMには、視聴者に対するあらゆる配慮を欠いた傍若無人な内容が見受けられる。


健康のための商品のCMが、視聴者にとって精神衛生上よろしくない場合もあるということについて認識してもらいたいものだが、ニキビのようにしつこい歌とうっとうしいCMがストレスとなってニキビを呼び、ニキビケアがさらに必要とされる効果もあるだろうから、企業側もそう簡単にやめるわけにはいかないのだろう。
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2010年05月27日

ほんの一文で

とはいうものの、もしかして今回のスペシャル・エディションに限り、奇跡的にduran duranファンが涙するような素晴らしい解説が封入されている可能性も完全には否定できず、そうであればいくら過去の実績から判断したうえでのほとんど確信であるとしても、そこに積年の不満が渦巻いているとしても、結果的に失礼になりかねない。

そこで実際のところ解説や歌詞カードはどの程度のものなのか、昨晩「デュラン・デュラン スペシャル・エディション」で検索してみたのだが、そういった情報は見当たらず、レコード会社のサイトをのぞいても歌詞・解説付きであるかどうかさえ判明しなかった。



さすがに80年代を代表するアルバムだけあって、あちこちにリリースを伝えるニュースが見つかったのはうれしかった。

そんな中、新作のたびに取り上げられているので意外という感じではないものの、某ロック雑誌のサイトにまで「デュラン・デュランの名盤がスペシャル・エディションとしてリリース」という情報が掲載されていたのが目を引いた。

レコード会社からの資料をそのまま写したような味気ない内容は残念だったが、そのページの右上に、つまり次のニュースとして「マーク・ロンソンがニュー・シングルの詳細を明らかに」と表示されているのを奇遇に思い、ちょっと内容にも期待した。


そのmark ronsonのニュースには、新作record collectionからの1stシングルがbang bang bangという曲でリリースは7月11日、アルバムにはboy georgeやkaiser chiefsのnick hodgsonも参加しているなどということが書いてあり、なるほど「マーク・ロンソンがニュー・シングルの詳細を明らかに」というタイトルからすればごく当たり前の内容だった。

しかしながら、このニュースの並びである。しかも読んでいるのはduran duranファンである。その辺を加味した途端、この記事はあっという間に肝心なところが欠落した、実に気の利かない代物になってしまうのである。というのも、duran duranファンなら、duran duranとmark ronsonのニュースが隣り合わせたら、「現在duran duranはプロデューサーにmark ronsonを向かえ新作のレコーディング中である」とか「mark ronsonは現在duran duranの新作のプロデュースを手がけている」などという一文が、少なくともどちらか一方に添えられてしかるべきと考えるからである。


いくら音楽雑誌のサイトといっても、全員がduran duranの新作をmark ronsonが手がけていることを把握しているなどと期待すべきではないし、duran duranの新作など取るに足りないニュースというのならそれはそれで仕方ない。しかし、隣り合わせの記事でduran duranとmark ronsonを取り上げておきながら、最新情報としてその関係に触れないのは迂闊の謗りも免れない。

また新作のリリースごとにそれなりに取り上げ、思い出したように持ち上げたりはしても、やはり他のメディアと変わらず、duran duranを現役としてはさほど評価していないどころか気にもかけていない、という姿勢から見えてくる致命的な嘘臭さは、当然この記事ばかりにとどまってもいられないだろう。今では書店でその表紙を見かけても、手にすることさえ躊躇われるようになってしまったのもそのためだろうと思われる。


例えばCDジャーナルのサイトで同じようにduran duranとmark ronsonの記事が隣り合わせたら、まず間違いなく、いずれかの記事において、もしくはいずれの記事においても、duran duranの新作について触れた一文が添えられるはずである。


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2010年05月26日

らしくない

duran duranの1stとseven and the ragged tiger、そしてarcadiaのso red the roseのデラックス・エディションの日本盤が、今日5月26日に発売された。

ただし、1stとseven and the ragged tigerの日本盤はDVD無しの2CD仕様のみの発売であるという点にはくれぐれも注意しなければならない。

ややこしいことにarcadiaのほうは輸入盤と同様のDVD付きの2CD+1DVDであるし、価格も輸入盤のDVD付き3枚組とほとんど変わらないので、ついうっかり日本盤にもDVDが付くものと勘違いして購入してしまう可能性もあるし、そうなってはレコード会社の思う壺でもあるだろうから、念のためにいま一度、注意喚起しておく必要は十分にあるだろう。


輸入盤も日本盤もとにかく買い集めるという偉いファンは敬意とともにさておき、僕がかつてそうであったように、好きなバンドのCDは何となく日本盤でなければ落ち着かないというようなファンにとっては、今回の特に1stとseven and the ragged tigerのデラックス・エディション日本盤は、つまりDVDも付いてなけりゃ値段も高い、待った甲斐がないどころではない、待たされ損な内容になっているといっていい。

しかも、「輸入国内盤仕様」であるから中身はすっかり輸入盤と同じはずで、せいぜいちょっとした解説や歌詞カードが封入されるくらいのものと思われる。歌詞はネット上にゴロゴロしているし、解説もduran duranについてなら音楽評論家よりファンのほうがよほどその音楽を理解し、それにともなって貴重な情報も有しているわけで、また過去の例からしても今回に限って突如読むべき解説が提供されるとは考えにくい。


それならば、当然DVD付きで安くてリリースも早かった輸入盤を購入したほうが断然賢い、というか全部買う偉いファンとどうしても日本盤が好きでさらにDVDを必要としないファンを除いて、まずほとんどの人がすでに輸入盤を購入しているはずである。


そこで疑問に思うのが、では一体誰のためにもしくは何のために今さら大して売れない日本盤を、限定販売とはいえリリースしたのかということなのだが、日本盤の発売を知ってから2ヶ月経った今も、その理由はどうしてもわからない。

帯だけ変えて廉価盤の再発を繰り返すのが得意なレコード会社にとっては、「輸入国内盤仕様」はお手のものという感じもするが、そろばん勘定としては帯だけ変える廉価盤ほど魅力的ではないだろうし、いくらもうとっくに怠惰な体質が露見しているとはいえ、発売する必要も無い商品をあえてやる気無し手抜き仕様で発売して、自らこれ以上落ちようも無い評判を頑張って落とすというのだからいよいよ不可解である。

何かそこに素人ではわからない商機があるのか、それとも心を入れ替えて80年代の恩義に報いようとしているのか...しかしそれにしてはDVDが省略されているわけで、やはりどう考えてみてもよくわからない。


昨年、rioのデラックス・エディションを完全に無視したときにはさすがに唖然としたが、今回の不可解な日本盤リリースを目の当たりにしては、大ヒット作rioさえ意に介さない姿勢のほうがこのレコード会社らしく思えて、かえって納得できるくらいである。

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2010年05月24日

ヴァーチャル・フェスティヴァル

5月23日付最新のUKアルバム・チャート。先週8位に初登場したfoalsのtotal life foreverが52位へと急降下。内容からすれば信じがたい結果だがチャートを見渡せば致し方ない。シングル・チャートでは、robbie williamsとrussell brand、そしてtrevor hornプロデュースによる、squad名義のthree lions 2010が21位に初登場。こちらはワールド・カップが近づくとともに順位はいくらでも上がるに違いない。


three lions 2010がまだ日本のiTunes storeには見あたらないのは残念だが、とりあえず今はmarti pellowのdevil and the monkeyを早々に配信してくれたことが有難い。考えてみれば、iTunes storeでアルバム丸ごとを購入したのは初めて。歌詞を含むブックレットもつき、何しろ発売日当日に入手できるというのは、例えば今回のようにCDとしてのリリースがオフィシャルサイトに限られる場合や、また普通に流通していてもsentimental meのように1ヶ月待たされることを考えれば、断然便利で気楽な方法だと今さらながら痛感。

特に贔屓のアーティストについてはCDへのこだわりも捨て難く、これを機会にCDからダウンロードに乗り換えるなんてことにはならないわけだが、そんな旧式の僕をしても、CDを1ヶ月待つよりも発売と同時にダウンロードするほうが確実であるという矛盾がもう矛盾でなくなりつつあるのは確かである。devil and the monkeyの内容が素晴らしいだけに尚更そんな風に思えてしまう。


ポップな作風としてはオリジナルに限れば1stのsmile以来ということになるわけだが、エレクトリックなテイストやダンサブルな楽曲による多彩な広がりを加味すれば、落ち着いたトーンで統一されていたsmileを凌ぐ内容といってもいいだろう。そして何と言っても、i surrenderがとんでもなくいい。ソロアルバムの冒頭を飾った、こちらも同様にシンプルな演奏をバックに歌だけで勝負したhard to cryと並ぶ名パフォーマンスだと思う。特にサビの慈愛に満ちた美しく優しく、エモーショナルにして繊細な歌唱は、聴くたびに胸が熱くなり鼻がツンとして目が霞んで困る。まだ上半期も終わっていないが、あくまでも個人的なレベルで、少なくとも年内は、これを超える歌が聴けるとはどうしても思えない。それくらい感動的だ。


もちろんまだまだfoalsの眩いグルーヴにクラクラしっ放しだし、sandy daneもまだまだ聴き足りない。ナチュラルでアコースティックなサウンドに癒されるなんて感想では済まされないほど、それぞれの曲がポップでメロディアスで瑞々しい。共作とはいえ、アーティストの世界観から逸脱することない範囲でその歌声ありきの作風で、ここまでズラリといい曲が並ぶというのは稀である。音楽的にもスタイル的にも耳目を集めるようなギミックはないものの、純粋にいいメロディにいい歌声という観点からすれば、現在チャート上位にいる女性アーティストの作品よりよほど優れていると思う。


そんな中に、marti pellowのdevil and the monkeyが加わったので、i surrenderにジーンときて、foalsにクラクラし、sandy daneに感心し、またdevil and the monkeyから聴き始めるという毎日が続いている。つまり、UKロックに、オランダの女性ボーカリストのアコースティックなポップスに、最高にソウルフルなボーカリストの多彩なポップ・アルバムをとっかえひっかえ、しかも夢中で聴いているわけで、傍から見ればほとんど混沌としてせわしないような状況ながら、そのいちいちに心奪われていると、ふとまるで自分ひとりだけのために企画されたフェスティヴァルの会場にいるような感覚におそわれる。

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2010年05月23日

devil and the monkey/marti pellow

marti pellowのニュー・アルバムdevil and the monkeyが、今日23日にリリースされ、日本のiTunes storeでもdevil and the monkeyのシングルとともに配信が始まっている。アルバムには全曲の歌詞を含むブックレットもついている。

(アルバム)devil and the monkey/marti pellow
http://itunes.apple.com/jp/album/devil-and-the-monkey/id371305526

(シングル)devil and the monkey/marti pellow
http://itunes.apple.com/jp/album/devil-and-the-monkey-single/id371079660



試聴の段階ですでにソロ作としては最も多彩で最もポップであり、楽曲も粒ぞろいであることがうかがい知れたとおり、やはり素晴らしい内容である。アルバム全編を通して絶妙の匙加減で施されたエレクトリックな装飾が、バラエティに富んだ楽曲それぞれをさらに鮮やかにヴォリュームアップしつつ、アルバムとして統一感を与えることにも成功しているし、楽曲については粒ぞろいどころか捨て曲無しの充実振りである。


martiのコミカルなボーカル・ワークとパーカッシヴなビートとの対比がくすぐったくて癖になるdevil and the monkey、too many people路線ながらよりエレクトリックで、シンプルかつクールなメロディが印象的なmy life、ソロ初となる2曲のダンス・ナンバーにはgraeme clarkが作曲と演奏で参加。同様に、ブルージーでグルーヴィーなロックのmake it stickも、カバー・アルバムbetween the coversの数曲を除けば、つまりオリジナルとしては、新しい試みということになる。

アカペラで幕を開け、弛緩したムードに人懐っこいメロディ、ハーモニカやオルガンがアーシーに鳴るかと思えば、ここでもエレクトリックなテイストが顔を出し、果てはゴスペル・コーラスが大いに盛り上げる、多分に意欲的ながら恐ろしくポップなking of yesterdayも大いに耳を引く。

その一方で、ソロ1stアルバムsmile収録のlondon lifeを思わせるhere today,here tomorrowや、wet wet wetのshe might never know/all i wantにも通じるカントリー・バラッドsaturday nights,sunday morningsなどは抜群の安定感。バラードについては、エレガントかつドラマチックなthe grass has never been greener、荘厳にして優美でクラシカルなwinter across her brow、R&Bのnever give up on youとそれぞれに異なったアプローチがとられている。


そして、ラストのi surrenderはもう文句なしの名曲。ピアノとかすかなストリングスをバックに歌われるシンプルで端整なバラードで、曲もさることながら、ここでのmartiのパフォーマンスが凄い。感情を絶妙に的確に歌として表現する技量の高さを思い知らされるし、それにしては円熟の域などと呼ぶにはあまりに生々しく、胸の奥深くにまで沁みる。これまでも幾度と無く素晴らしいパフォーマンスがあったわけだが、この曲に関しては、歌との一体感や表現力が格段にスケールアップしているように思われる。それでもまだ説明しきれない美しさ悲しさ優しさ暖かさについては、今年1月に亡くなったwillie mitchellに捧げられたアルバムの中にあって、大きな喪失感を歌ったこの曲が特にその想いと重なるからなのかもしれない。



ミュージカルに来週から始まるgeorge bensonとのアリーナ・ツアー、もちろんwet wet wetの新作の準備と多忙を極める中で突如届けられた、バラエティに富んだヴィヴィッドなポップ・アルバムからは、martiがここへきてさらに音楽を楽しみながら、充実した日々を過ごしている様子が伝わってくる。

ソロキャリア10周年を自ら祝うかのように楽しく感動的、もう少し時間がかかりそうなwet wet wetの新作を心待ちにしていたファンにとっても、その寂しさを吹き飛ばすほどにエキサイティングなアルバムになっている。
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2010年05月22日

ヒメオドリコソウ

川岸の草むらには今日もキジがいた。姿が見えないなと思っても、まるでかくれんぼをしている子供が息を潜めているドキドキに何故だか辛抱たまらなくなって自分から出てくるようなタイミングで「ケ、ケーン」と鳴いて、よせばいいのに自ら居場所を知らせるのが面白い。

だからといっていくらなんでも撃つのはかわいそうだが、そのたびに「雉も鳴かずば...」が滑稽を伴い口をつく。鳴かずとも真っ赤な顔が目立ちすぎ...で、今日も「ケ、ケーン」と声のするほうを見たら、自分で鳴いておいて「見つかった!」と小さく驚いた風で、しかしさほどあせる様子もなくササササッと背の高い草むらのほうへ姿を消したのだが、草の間からはしっかりと真っ赤な顔が覗いていた。



中学校では運動会が行われいていた。太鼓の音に合わせて右の拳を突き上げながら一斉に飛び上がったり、その中をドタドタと数人の頭が動いていく様子や、何しろギュウギュウづめな校庭に気を取られながら、ふと前に目をやるとまだせいぜい小学校の1年生くらいと思われる男の子が、50メートルほど先から踊りながら近づいてくるのが見えた。

ヒップホップ系のダンスなどでよく見かけようなステップを軽快に踏み、時折くるりと体を回転させたりして、すれ違いざまにはこちらに向かってキリッとした眼差しを向け、汗にぬれた黒い髪がキラキラと輝き、しばらくして振り返ってもまだ踊りながら歩いていた。



満開の木蓮には絶対に素通りを許さない強烈な存在感がある。しかし、ボタボタと一斉に落ちた花びらの取り散らかった様子は、その一際大きな花びらと強烈な香りのせいもあって、例えば美しく着飾った女性が脱ぎ散らかしたドレスのだらしなさとも重なり興醒めである。



この10年ほどで急激に増えた雑草がある。全体的には緑色なのだが上部がくすんだ赤紫色をしていて、しばらくすると小さな薄紫色の花をつける。花が咲くとそれなりに可愛らしいのだが、子供の頃から緑を基調にせいぜいタンポポとつくしが混じるくらいだった道端の色に慣れていた目には、そのくすんだ赤紫色がどうしても周囲との調和を欠いているように見え、ワラワラと群生する様子が不気味に思えて仕方なかった。

しかし、例えばガーデニングが趣味の母親に「これ何だろうね? 昔は無かったよね?」と聞いても、「なんだろね。無かったね。」と全然気の無い返事だったり、特にどかこで誰かが気味悪がっているという話も聞こえてこず、毎年この時期になるたびに、一体これは何という植物なのか、是非ネットで調べてみようと思いながらも、そんな周囲の無関心に流されるまま、また怠惰で忘れやすい性質のせいもあって、放ったらかしにしてあった。

今日は運よく家に帰っても忘れずにいたので、ついにこの不気味なやつの正体をあばいてやろうと意気込んで検索したら、「ヒメオドリコソウ」というなんとも可憐な名前がついていた。特に不気味がることもないようで、見た目でやたらと気味悪がっていたのを申し訳なく思う反面、改めて「ヒメオドリコソウ」として眺めても、どうしても「ヒメオドリコソウ」らしくは見えず、可憐すぎる名前に余計に不気味さを煽られたような気もした。
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2010年05月21日

レコーディング・ダイエット

4月21日にmark ronsonが“the chauffeurs”を従えronnie scott's jazz clubで行ったライブにおいて、simonとnickがthe chauffeurを客演した時の様子がyou tubeのduran duranオフィシャル・チャンネルで見られる。

Duran Duran's The Chauffeur with Nick, Simon & Mark
http://www.youtube.com/watch?v=Hwf8RrrfB3E


リハーサルの様子を含めた断片的な映像で、nickのコメントがメインのような内容だが、現在もまだmark ronsonとのレコーディング作業が継続中のニュー・アルバムについても言及している。

それによると6月か7月にはレコーディングが終わり、リリースは今年後半から来年早々ということになるらしい。


...といったところで、nickに限らず彼等の口にする予定などあてにできるはずもなく、それを鵜呑みにするファンなどもう世界中どこを探してもいないだろう。そんな懐疑的なファンが果たして本当のファンといえるのかどうかという話にもなるが、それこそがduran duranファンを長く続ける秘訣でもあるし、彼等の予定があてにならないことについてはもう絶対的に信じているのであって、その点においては信頼関係が確立されていないわけでもないのである。

それに賢明なファンならば、あてにならない口約束よりも、この映像自体からもっと確実にレコーディングの進捗状況を探ることも可能である。

例えば、2月の来日の頃と比べて引き締まりつつあるsimonの顔からは、無駄な脂肪が詩作や歌入れの際のエネルギーとしてどんどん消費されていてレコーディングもいよいよ佳境に入り、同時にPVやジャケット撮影も意識されつつあるということがうかがい知れる。今やnickのコメントよりもsimonのダイエットの進行具合のほうが、ファンにとってはよほど確かな判断材料になっているのである。


ということで今回は、nickのコメントをsimonの脂肪の減り具合が裏付けているということで、どうやら今年後半から来年早々にかけてのリリースはほぼ確定的であると考えてもいいだろう。



mark ronsonはそれよりひとあし早く、9月にアルバムrecord collectionのリリースを予定しており、先日も新曲circuit breakerが、ファミコンのゲームを思わせるPVとともに話題になっていた。アルバムには、john taylorも絡んでいるはずだし、boy georgeが参加しているという噂も目にした。

単純に80年代の音楽にかなり愛着があるだけかもしれないし、duran duranに関しては新作のプロデュースを手がけている責任もあるものと思われるが、それにしても、これほどまでに80年代の音楽シーンに敬意を表しているアーティストも珍しい。

80年代的なサウンドも確かにここ最近よく耳にするものの、そのほとんどがチープでけばけばしいエレクトリック・サウンドとしての認識にとどまっているという嘆かわしい状況にあって、80年代のポップ・ミュージックのきらめきや面白さ、そして何よりも徹底的にポップなスタンスを、現在にリンクさせるのに彼ほどの適任者はいないと改めて思う。

posted by atons at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | duran duran | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする