2012年05月06日

radlands/mystery jets

80年代ポップの成熟を体現した大傑作serotoninから一転、テキサス州オースティンのコロラド川沿いにあるひなびた木造の一軒家にてレコーディングが始まった今作radlandsは、すっかりアーシーでブルージーでカントリー。しかし多彩でユニークなアイディアでポップに聴かせる妙技はいつにもまして冴え渡っており、カントリーへの傾倒が半端ではなかっただけにあっという間にそれを自在に巧みに操る術さえ会得してしまったのではないかと思われるほどに、結局はmystery jetsらしさ全開。making densではまだ巧く制御できず時に過剰な点もあったしかし類稀なる混合センスが、ニュー・ウェイヴに特化したtwenty oneからそれを洗練させたsertoninを経て、いよいよ絶妙なバランス感覚を発揮し始めたという感じがする。

冒頭からその枯れっぷりに相当意表をつかれる1曲目のradlandsからすでに、mystery jets史上屈指の切なく美しいサビが用意されているし、the ballad of emmerson lonestarでは、そのままでも十分魅力的なメロディに緻密な装飾と優美なコーラスワークが添えられると、タンブリング・ウィードが転がる街外れのサルーンが気づけばいつものライブハウスだったりする。

take me where the roses grow(sophie-rose harperとのデュエット)やgreatest hitsのようにmystery jetsにしては素直なスタイルやいわゆるオルタナ・カントリー風のthe nothingも挿みながら、そのgreatest hitsからサザンロックを陽気なハンドクラップとともに引き継ぎ、bee geesばりのファルセットをかぶせてダンサブルに様変わりさせたthe hale bop、軽快なメロディと60年代のアシッドなロック・サウンドと聖歌隊が入れ替わり立ち代り顔を出すsister everetteにおける、オリジナリティに溢れまくった傍から見れば結構な力技を実に事も無げにやってのける手際は特に素晴らしい。

making densのフォーキーでサイケでロックな感触にも通じるsomeone purer/lost in austinも、自在に広がり絡まりあうイマジネーションはそのままに、過剰になることなくしかし一切の取りこぼしもなく全てが強力なメロディに集約されていくように仕上げられている。ポップで魅力的な楽曲がずらりと並んでいる点についてはもはやいうまでもない。

新しい要素を取り入れつつ、過去2作で磨きをかけた混合センスを存分に発揮しているという意味では、大胆な変化でもあり原点回帰でもあり順当な進化ともいえる。全体的なトーンはレイドバックしたようでも実はありえない成長ぶりが聴いてとれるアルバムであり、そんな芸当ができるのは、少なくともUKインディー・ロック界ではこのmystery jetsを置いてほかにないと思わせる頭ひとつ抜け出た感がものすごい。当然集大成にして最高傑作に違いないのに肩肘張った気配もなく、音楽好きの豊かなヒラメキと創意に満ちていて、音楽を創ることの喜びが全面に打ち出されている点もmystery jetsならでは。

radlands/mystery jets
http://itunes.apple.com/jp/album/radlands/id518187558
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2012年04月07日

the very best of living in a box

2枚のアルバムと8枚のシングルしかリリースしていないために、2枚のアルバムからはボーナストラックを除き全曲を収録、そこにBサイドやリミックスが11曲(この手の廉価編集盤にしては異例ともいえるボリューム)も加わったことで、必然的に1st/2ndアルバムのデラックス・エディションが実現してしまったthe very best of living in a box。

日本でCMソングとしてシングル・リリースされたbed of rosesが外れたのは、いい曲であるだけにもったいないし、dance the mayonnaiseについてもどうせなら(bed of rosesとともに日本盤gatecrashingのボーナス・トラックでもあった)オリジナル・ヴァージョンを収録すべきだった。同様にroom in your heartもかなり甘めの味付けがなされたシングル・ヴァージョンよりも実はシンプルなアルバム・ヴァージョンのほうがいい。シングルに対応して出来る限り収録されたリミックスは、bobby womackをフィーチャーしたso the story goesを筆頭に80年代エクステンディッド・ヴァージョンを逸脱しない範囲であれこれと工夫が施されていていずれも聴き応え十分だが、ここでもお馴染みのliving in a box(the penthouse mix)よりもレアなblow the house down(conversion version)のほうを収録してほしかったという不満は残る。

ただthe liam mccoy/dance the mayonnaise(part two)/when push comes to shove/ecstasy/get on the dog dozaといったシングルのカップリング曲がこうしてまとめられた意義は不満点を補って余りあるほどに大きい。ボーカルが乗らなかったのが惜しまれるthe liam mccoy、打ち込み主体のアルバムとは趣を変え生音でプログレッシヴかつユニークな音楽性を披露するdance the mayonnaise/get on the dog doza等、いずれもカップリングにしておくのがもったいないクオリティ。

ソウル・ミュージックを素地としたポップスを、80年代前半のごてごてした装飾を一度削ぎ落としたうえで改めてシンセ/ギターを中心にひたすら気持ちよさを追求したようなソリッドなサウンドで聴かせる1stから、それらに洗練を施すことでほとんどAORとしての風格さえ湛えた2ndといったとらえ方が一般的ではあるけれど、ハウスにbrian mayのギターとシンセブラスが交錯するblow the house downや重厚なエレクトロ・ファンクにラテン・グルーヴが舞い込んでくるgatecrashingのような曲もあり、さらにカップリング曲ではこんな風にもっと違う表情も覗かせていたわけである。

長らく入手困難だったカップリング曲が日の目を見ることで、多彩にユニークにクロスオーバーした一筋縄ではいかないliving in a boxの本質がついに顕わになり、その魅力が再認識されるという意味において、ディスコグラフィーのわびしさから図らずも充実してしまった廉価ベスト盤ではなく、やはり1stおよび2ndをひとまとめにした豪華なデラックス盤と呼んだほうが断然しっくりくる。CDを外すと2ndアルバムgatecrashignの最高にカッコいいジャケットが現れるのも個人的にはものすごくうれしかった。

the very best of living in a box
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4964848
http://www.amazon.co.jp/Very-Best-Living-Box/dp/B006ZGDBYA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1333782052&sr=8-1

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2012年02月19日

our version of events/emeli sande

heavenの際限ない高揚感から一転、熱量はそのままに深く憂いに沈むmy kind of loveへと展開するあまりに鮮烈な幕開けから、heaven/daddy/next to meのシングル曲としての即効性については言うまでもなく、優美にして荘厳なmountains、ピアノとストリングスのみで歌われる切なくいじらしいバラードclown、ほろ苦い歌詞にソウル・ポップなテイストが絶妙なlifetime、river/hopeにおけるすでにクラシカルな風格まで...、強いて泣く泣く厳選しても、professer greenのread all about itを除いても、どうしても8曲は他のアーティストに提供したらいずれもシングルとして容易にトップ10入りが可能なレベルといわざるを得ない。しかも名曲揃いにも関わらず、いずれもその高い平均点に埋没することなく、つなぎや箸休め的な曲も必要とせずに、アルバム全編、1曲1曲の隅々まで、文字どおり完璧に名曲が詰まったアルバムである。


soulUsoul/gabrielle/tasmin archerあたりに通じる90年代のソウル志向クラブ・ミュージック的な程よく落ち着いたサウンドとの相性は抜群、そのうえで現代R&B/HIP HOPのビートでも、シンプルにアコースティック・ギターやピアノだけでも、ストリングスで壮大な広がりをみせても、何をやってもまず強力なメロディが揺ぎない。そして、メロディに寄り添いながら、パワフルに躍動的に艶やかに哀切に響き、空高く舞い上がり地を駆け水底深く沈むが如き縦横無尽な歌声が全てを必然足らしめている。

例えばnext to meについて言えば、テレビ等で披露されているアコースティック・ヴァージョンのほうがよりこの曲の魅力を伝えるはずだし、adeleのrolling in the deepを容易にイメージさせるHIP HOPなアレンジは普通に考えれば避けるべきタイミングであるとも思うのだが、そういった視点を取るに足りない小賢しさとして恥じ入らねばならないほどに、全てがメロディと歌声に許容され抱きしめられ、その懐の深さがまた楽曲に並々ならぬパワーを与えている。


そんな圧倒的な歌声と楽曲でありながら、それが天賦の才能のみならず、すでにほかのアーティストへの楽曲提供や客演によって蓄積されたキャリアに裏付けられたものでありながら、巧すぎるとかテクニックに走りすぎだとか、つまり自らの才能におぼれ易きに流れるというような、才能に恵まれるがゆえに陥りやすい弊がこのアルバムのどこにも欠片さえ兆していないというのも凄い。昨今のR&Bに多く見受けられる刺激的なビートにキャッチーでソウルフルなメロディを添えるだけの安易さなどとは全く別次元にある。これだけ王道で端整で流麗なスタイルにしてこのヴィヴィッドで切実なヴァイヴは、端からその言葉とメロディがくっついて、しかもごく自然に心から口からこぼれ落ちてきたからとでも考えなければ説明のしようがない。でなければまたここまで名曲を並べることもできないはずである。

そういう意味ではまさにadele以来の衝撃といっていい。同じブリット・アワーズのいわゆる「期待の新人賞」「あらかじめ新人賞」であるcritic's choice awardsの受賞が決定しているからとか、ソウル/R&B志向の女性ボーカルであるからという共通点よりもまず、ポップ・チャート1位級の才能と、聴く人の心にダイレクトに訴えかけ密接にリンクしてしまう生々しさが同居しているという誰の耳にも明らかなこの衝撃がまさにadeleの“19”を思わせる。まだ2月というのに、(贔屓のアーティストは別にして)今年このアルバムのクオリティを超える作品が出るとは到底思えない。早すぎるベストアルバム確定もやはりadeleの“19”以来のことだ。

Emeli Sande - Our Version Of Events (Album Sampler)
http://www.youtube.com/watch?v=pBK4i0KgFg4

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2011年08月07日

famous first words/viva brother

ボーカルのふてぶてしさ及びサビの明快な盛り上がりはoasis、楽曲構成やアレンジはどちらかといえばblurに近く、デビューしたばかりのsuedeがtrashやelectricityを演奏しているかのように聴こえる曲もある。

そんな風にこれまであちこちで何度も言及されてきたUKロック界の先達の影響が明らかに聴いてとれるものの、アルバム全体としては、実はoasisほど力技で押し通せるタイプでもなければ、blurほどの軽妙さ多彩さもなく、ましてsuedeのグラマラスなイメージなどには程遠い。もっと素直で典型的なUKギター・ロックの流れにあり、むしろoasisとblurが口火をきりながらも、結局そこに長く留まることがなかったまさにブリット・ポップが色濃いバンド、つまりoasisやblurよりもブリット・ポップなバンドというべきだろう。

ゆえにどこか当時のoasis/blurフォロワーといわれたバンドたちを思わせる煮え切らなさ、突き抜けなさも感じられないわけではない。oasisやblurやthe stone rosesやthe smithsのように、個性が際立っているともいえない。彼等に時代を託していいものだろうかと聞けば多くの人が返事に躊躇うに違いない。ブリット・ポップ世代なら尚更である。しかし、フォロワーとはいえひとつのムーヴメントを形作った当時のブリット・ポップに属するあまたのバンドがそうであったようにこのviva brotherも、散々手垢のついたUKギター・ロックにおいて、一緒に歌わずにはいられないメロディと、奇を衒わず歌に忠実な手堅いギター・サウンドというシンプルな要素だけで十分に耳を引くことに成功している。


ブリット・ポップの狂騒を思わせた2000年代のUK期待の新人バンド・ブームも落ち着き、世間がその状況にうんざりするのと時を同じくして、例によって2ndアルバムの高い壁により多くのバンドが淘汰され、やがてチャートからはロック勢が姿を消した。同様にR&BやHIP HOPや作られたアーティストに食傷気味になりつつあるはずの今こそ、自然とその流れを変えることのできるバンドの登場が待たれるタイミングでもある。そんな時機を得るのも才能のうちであるし、おそらく2000年代以降初めてこれほどまでに真正面から躊躇無くしっかりとブリット・ポップとその周辺を含む90年代のUKギター・ロックを潔く引き受けたバンドとして、彼等はその資質も十分に備えている。

一方でリヴァイヴァルの周期とそれを担うにふさわしいバンドの登場として簡単に片付けるわけにはいかない、あくまでも現在に訴えるヴァイヴがあるのも確か。ボーカルもやはり際立った個性があるわけではないのだが、そんな昔話に埋没することなど思いもよらないという風な気概と自信に満ち満ちて、声質や技量よりもまずそこから個性が醸造されつつあるのが頼もしい。

ブリット・ポップの狂騒にまんまと巻き込まれた耳ではあてになりそうもないけれど、あれだけ散々懲りたそのうえで、ここまでひねりなく混じりけなくまっすぐで正攻法のUKギター・ロックに魅かれるのだから、それは信じてみたくもなる。長らく迎い酒的な対処療法に頼るしかなかったブリット・ポップ後遺症も、viva brotherのこの効き目が長持ちすれば完全治癒も見込めるかもしれない。

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2011年06月21日

young the giant

cough syrup/garands/guns outやgod made man/islandsを聴く限り、young the giantはarcade fire/the national/fleet foxesに象徴される、現在進行形のUSオルタナティヴを体現するバンドという感じがする。

その一方で、my bodyのエモな振り切れ具合、apartment/12 fingers/your sideあたりに見え隠れするUKギター・ロックのテイスト、西海岸産の甘美なコーラス・ワークとメランコリックでオーガニックなギター・サウンドにアフロ・ポップな解釈も加わるi got/strings、ダンス・パンクと呼ぶにはメロディアスでどちらかといえばフォークからダンスを志向したようなst.walker、...といった曲が並び、前にも後ろにも右にも左にも、全方位にその音楽性は広がっている。

にも関わらず頭でっかちになることなく、あくまでも自然で気取らない雰囲気の中...、アルバムをひと通り聴き終える頃には、早々にUSオルタナティヴというわりと漠然とした枠組みでさえ収まりがつかないような気がしてくる。

sameer gadhiaのボーカルも同様に、インディーズ然とした素朴さナイーヴさを基調にしながらも、よりストレートにエモーショナルに訴えることもできれば、繊細でしなやかで行き届いた表現力も持ち合わせている。また曲自体も基本的にはオルタナティヴなインディー・ロックのスタイルではあるものの、それにしてはポップ・ミュージックとしての儚くも美しいきらめきに満ち満ちてもいる。


多彩な音楽性の中に散りばめられたそのきらめきは西海岸の陽光を思わせつつも、例えば同じくカリフォルニア出身のthe morning bendersのbig echoが放つ直射日光とは違い、それが海を越えた憧れでありまたエスケイピズムの象徴でもあったthe thrillsにより近いように感じられる。音楽的にはthe morning bendersのほうがthe thrillsに近く、the thrillsもyoung the giantもmorrissey経由で知ったという影響は免れず、そのため全く個人的な思い込みであるかもしれないが、ふと気がつけば、かつてthe thrillsの面々がbig surへと誘われたあのプール・サイドにyougn the giantが立っている。

全曲素晴らしく、今後長く聴き続けるうちにその時々で聴き込む曲も変わっていくに違いないが、今のところi got/strings/st. walkerは夏のプレイ・リスト入り決定。stringsの“Now I can walk the stones of your shoreline/And taste the ocean's salt when the cold shines/My words are rolling soft down your south side”の一節に心をわしづかみにされているところである。

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2011年04月07日

james blake

limit to your loveのようにポップスの形式にまだ忠実な曲もあるし、lindisfarneUは十分にオルタナ・カントリー、インタールード的に配されたgive me my mouthとwhy don't you call me?も基本的にはシンプルなピアノ弾き語り、幾重にも繊細なボーカルを重ねたmeasurementsはひとり聖歌隊といった趣。

それでも初めてthe wilhelm screamを聴いた際の、湯気が天井からぽたりと落ちて桶がコーンと気持ちよく響く大浴場でひとりきりで気持ちよさそうにしかしどこか寂しげに歌うベテラン・ソウル・シンガーのイメージはなかな消えず、このアルバムにおいても、ベテラン・シンガーがコンピューターをいじってはみたものの手に負えず、歌ったほうが早いからと歌い始めてしばらくすると適当に打ち込んだはずの演奏が偶然にも歌とシンクロしてしまった...そんな印象を受ける。


意外なほどに歌が先行し、それなのにエレクトリックでアンビエントでダブ・ステップというよりはトリップ・ホップなサウンドがいつの間にか絶妙に濃密に絡み合う。サウンド自体についても、その質感の気持ちよさだけには留まらない。抽象的でとらえどころもなければ、時に緊張感も伴うひんやりとしたサウンドから受ける第一印象からすれば驚くほど自然に入り込んできて、その端々には血が通った温かみさえ感じられる。

その有機的な融合のあり方は、言ってみればアコースティック・ギター爪弾きながら思いつくままに歌ってみる、もしくはたとえ上手に弾けなくてもただ思うままに楽器を鳴らしただけの気持ちよさにさえ似ていると思う。

自分の部屋でヘッドフォンをしてギターの代わりにキーボードや鍵盤を叩く。音の隙間にフッと訪れる静寂は、例えば一日中動いていたエアコンの室外機が止まった際のあの感覚に似ていて、しばらくして静寂の向こうにかすかに聞こえてくる音は深夜の張り詰めた静寂を緩和するどこか優しい町のノイズであり、その不規則なノイズに耳を傾ければそれがやがて歪なグルーヴを形成していく。そこにとりとめなく浮かんでは消えていく想いの断片を途切れ途切れに乗せる。

静かで寂しげでたどたどしく完成された美しさには欠けている。しかしどこまで自由気まま、自分に素直であるという意味においてひたすら独創的、無論嘘や虚勢など微塵も必要としない。ゆえにあまりにパーソナルで物憂げであるのに、驚くほどすんなりと聴き手の心に沁みていく。

街中のワンルームから漏れ聞こえてくる吐息でありため息であり独り言または寝言のような...何気ないからこそ切実な現代のブルーズに触れた心地がする。最高だの名曲だの新しいだのと盛り上がることはできないけれど耳を傾けずにいられない。

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2011年01月28日

21/adele

adele本人が語っているようにカントリー/ブルーズへの傾倒が窺える内容ではあるが、rolling in the deepからしてすでに“dark bluesy gospel disco tune”だし、turning tablesではピアノとストリングスが窓を打ちつける雨のように木々を激しく揺らす風のようにうねり、シンプルなソウル・バラードone and onlyのうえに優しく暖かなコーラスがキラキラとまるで天から降り注ぐような奇跡的な瞬間があるかと思えば、彼女のフェイヴァリット・バンドのひとつでもあるthe cureのlovesongの素直なアコースティック・カバーもある。

同様にカントリー・バラッドdon't you rememberやゴスペルのtake it allに留まらず、ピアノとブラスがファンキーなi'll be waitingはそれ自体が新鮮でもあるり、rumour has itではアーシーな感触とブルージーなギターを巧みに取り入れつつ、それをコーラスワークで何故かヒップに刺激的に仕上げてしまったのが面白い。


多彩な音楽性をこれでもかと披露した1stアルバム“19”の後なので、カントリー/ブルーズのテイストが支配的かつバラード志向も強い今作のトーンはかなり落ち着いた印象も与えるかもしれないが、adeleらしいユニークなアイディアはここぞというポイントで遺憾なく発揮されていて、音楽性を焦点化しつつそこに自らの色もしっかりと留められている。その一方で、より意のままに操れるようになったという歌声と、(おそらく)カントリー/ブルーズとの邂逅によって、メロディ自体も更なる広がりと強さを獲得しており、バラード主体にも関わらず、1曲ごとにめざましい変化を仕掛けなくてもそれぞれが十分に耳を引く。

コンポーザーとしても歌い手としても、あれだけの完成度を誇った1stからのさらなる着実な進化が明確に聴いてとれるのは本当に驚きである。


また、1stアルバム直後には、「悲しいことしか歌にできない」とか「機が熟さなければ曲は作らない」というようなことを言っていただけあって(実際にはそういうわけにはいかなかったのかもしれないが)、確かに熱く濃密で生々しい情感を1曲聴くたびにドンと目の前に置かれ圧倒されるような感覚がある。それがカントリー/ブルーズ色云々以前にアルバムに統一感を与えているに違いないし、またそれゆえにアルバム中では最もプレーンなクラシカルで美しいバラードsomeone like youとともに、adeleの歌声がダイレクトに心を揺さぶったという、アルバム1枚聴いたにしては随分素っ気ないしかし強烈な余韻が残る。

歌声とコンポーザーとしての才能がパーソナルな感情と密接に絡みあうことで成立する、adeleにしか創りえないアルバムだと思う。
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2010年10月30日

come around sundown/kings of leon

いかにも昨今の人気ロック・バンドの待望の最新作にありがちな仰々しいムードとは縁遠く、「またちょっとよさげな曲ができたからよかったら聴いてみて」というような気安さが先行していて、聴き手もかしこまったり変に身構えたりする必要はない。

それなのに、radioactive/pyro/mary/back down south/birthdayでの強力かつ明確なフック、それらの曲で聴かれるゴスペル・コーラスにカントリー・テイストのアコースティックでフォーキーな感触、さらに鍵盤類を中心にメランコリックで繊細な装飾など新しい要素もあれば、しかしそれらがほんの些細な変化としか思われないほどに、この期に及んでもまだ奥行きと広がりを増す音空間に圧倒され、重厚さとがむしゃらな疾走感が売りだったグルーヴにはベースを中心にしたソリッドな躍動感も加わり、楽曲は緩急が効きポップさが増幅され、まさに向かうところ敵無しといった破格な内容になっていて、結局前作以上の感動と興奮が待っているところが凄い。

もっと言えば、その気負いのないごく自然な雰囲気からの(もしくはごく自然な雰囲気ゆえの)衝撃さえもファンにとってはもうそろそろkings of leonらしさとして定着しているにも関わらず、それをまた飄々と超えてみせるから、そもそも新機軸やらギミックやら、まして小賢しい注釈など必要としていないのだとも思う。


こうして感想を文字にしてみるのもいよいよまだるっこしい感じがあって、聴きはじめてからずっと、ジャケットのような夕暮れのビーチで、その息を呑むような光景に心奪われ、ビュービューと吹く風を浴びて茫然と立ち尽くしているような強烈なイメージにとらわれたままだ。

そんな筆舌に尽くしがたい地点まであっという間に到達してしまったkings of leonのサウンドは、いわゆるスタジアム・ロック的な定型や安定志向を揶揄するのに用いられるのとは全く別の意味で王道と呼ばれなければならない。この場合、ポップに壮大に広がり、強くしなやかにグルーヴがうねり、それらが一体となって更なる高みへと突き進む堂々たる様を指して王道と呼ぶのであり、それは唯一kings of leonに対してだけ用いられべき表現なのである。
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2010年10月12日

big thing deluxe edition/duran duran

前作notorious以上に従来のduran duranらしいポップな装飾が排除された、seven & the ragged tigerの頃に比べればまるで骨と薄い皮から成るようなシンプルなサウンドはduran duranサウンドの典型とはいえないむしろ異質なものであるし、ファンク色の強い前半とアコースティックでエレガントでミディアム・スローな後半という大胆な構成も、まとまりのつかないアイディアを1枚のアルバムに収めるための苦肉の策のようにも受け取られかねない。

しかし、かつて1曲中に盛り込まれた多様なアイディアを纏め上げるために用いられたポップで煌びやかな装飾を極力排し、曲ごとにまるで自らのルーツをさらけ出すかのように異なる要素を色濃く打ち出すことで、アルバム全体としてduran duranの多様な音楽性を表現するという意図がそこにあったことは間違いなく、彼らにとっては多分に挑戦的、そして聴き手にとっては実に興味深い、そんな内容になっている。


ファンク志向とアート志向をそれぞれ推し進めたという意味においてはnotoriousからの順当な展開ともいえるし、一方で彼らにしては売れなかったnotorious以降の危機感が、自らのルーツを再確認するような試みへと向かわせたことも想像に難くなく、またそういった危機感が音楽に対する真摯な姿勢として反映されている点もこのアルバムを特別なものにしているのだと思う。


ファンクありブラック・コンテンポラリー風AORあり、palominoとlandにおけるタイトなリズムとwarrenの繊細なギター、そしてnickのハイセンスな音作りはroxy musicのavalonを彷彿とさせ、さすがに唐突な感じもするCCR版suzie Qを思わせるdo you believe in shame?もsimonらしい憂いのあるメロディが印象に残る。

そして最後には(当時)duran duran史上最もアコースティックな感触を持ったthe edge of americaと(当時)duran duran史上最もへヴィかつプログレッシブなロックであるlake shore drivingが控えていて、およそ一般的にイメージされる多様という表現では追いつかないくらいに多様、ポップでダンサブルでルックスがいいだけで終わらず80年代の顔足りえたduran duranの秘密を垣間見ることができる。

また、i don't want your loveのメロディはかえってキャッチー過ぎるくらいだし、リズムマシンを用いたエレクトリックなファンクなのにハードなギターも鳴り、steve ferroneのライブ・ドラムも贅沢に効果的に配されていれば、all she wants isは当時主流だったハウス・ミュージックの安易さとは明らかに一線を画すディスコ・サウンドのふりをしたエレクトロ・ファンクといった趣。タイトル曲big thingにいたっては、ハード・ロックをテクノ由来の無機質なグルーヴにはめ込んだかのような面白さで、シンプルなスタイルでありながら十分にポップで独創的でもある。


多様な楽曲と相変わらず強力なメロディ、そしてシンプルゆえに余計耳を引く独創的な混合センスにより、このbig thingというアルバムはduran duranの解説書のような役割さえ担っており、ゆえにアルバムとしての統一感や煌びやかなサウンドという観点からはduran duranの最高傑作と呼ぶのが躊躇われるとしても、アイドルや80'sポップなどという枠組みにとらわれず、big thing以降も含めたduran duranの音楽そのものについて考える場合、まず最初に想起されなければならない重要な1枚なのである。
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2010年10月11日

notorious deluxe edition/duran duran

リリース当時、プロデューサーnile rodgers色が強くduran duranらしさが後退したという指摘が一般的だったnotorious。それまでのduran duranらしいポップさに欠ける極端なファンク路線についていけず去っていたファンも多かった。確かに全編を貫くシックなファンク路線はnile rodgersの力なくしては成立しなかっただろうし、さらにいえばsteve ferroneのドラムがなければここまでの完成度は期待できなかったには違いない。

しかし、ファンキーなpower stationとシックでエレガントなarcadiaを経由し、3人になってより焦点化された音楽性にとってはごく自然な展開だったはずでもあり、そういう意味ではnile rodgers色云々以前に、自らのサウンドを具現化するために適材適所の人材を配することができる彼等のセンスこそ評価されるべきだろう。さらに、その後のミュージック・シーンにおいて、よりソリッドなブラック・ミュージックが主流となっていったことから、そこにduran duranらしい先見の明が働いていたと見ることも可能である。


また、seven and the ragged tigerからthe wild boysとa view to a kill、そしてthe power stationとarcadiaの両プロジェクトに至るまで、それこそ1曲として同じようなサウンドが無かったように、常に新しいサウンドを聴かせてくれるのがduran duranらしさであると理解していれば、やはりファンさえ戸惑うほどの劇的な変化を見せたnotoriousは、アイドル然とした雰囲気や過去のduran duranのイメージに捕らわれない限り、むしろより根源的な意味において強烈にduran duranらしい作品だともいえる。


しかも、アルバムの内容自体は、過度な装飾を取り除いた結果としてファンキーなグルーヴが際立つ一方で、ポップなメロディそして英国的気品も決して失われることなく、やはりduran duranらしい仕上がりになっているということは、誰の耳にも明らかである。

シングルカットされた3曲にとどまらず、AOR風の美しいバラードmatter of feeling、メロディは過去の作品に負けず劣らずポップなhold me、意外にもここまで落ち着いた感覚がかえって新鮮に感じられたwinter marches on、そしてduran duranらしい混合センスが見事に発揮されたプログレッシヴ・ファンク・ロックpropsitionなど、実は捨て曲なしのクオリティでもある。


アイドルとしての賞味期限、duran duranとしての長期不在、そしてメンバー脱退といったマイナス要素からすれば、もっとヒドイ状況になりうるところを、ファンさえ驚くほどに一足飛びにシックにファンキーに進化を遂げつつ、しかしあくまでもポップ・ミュージックとしてのパワーを失うことがなかった作品そのものの魅力で乗り切った、duran duranの底力が感じられる力作だと思う。

posted by atons at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする